第575回 また来ます
 
   平成16年 1月29日〜

 27日は、仏教婦人会活動に力を尽くされた、
九條武子夫人の「如月忌」です。    


 明治201887)年、第21代明如上人の二女として誕生された
武子夫人は、42歳でその生涯を閉じられました。

歌人でもある夫人は、18歳から宗門の婦人会の結成に取り組む
だけでなく、関東大震災の被災者救援活動や、女子教育、
また病院の創設など、お法りにささえられ多くの業績を
残されました。


夫人の遺徳を、偲ぶのみでなく、どう後生に伝えつつ、
活動すべきなのか、自らを問う2月7日は「如月忌」です。

九條武子夫人は、大正1291日に、関東大震災に
あわれ、ご自分も被災される中を、支援物資の募材
活動や、巡回診療活動など、積極的な救済活動をされ、
その無理と過労が、武子夫人の往生を決めてしまうことに
なったといわれております。
 
 
 昭和2年の年末、ついに扁桃腺(へんとうせん)炎にか
かられ、のどには、化膿(かのう)症状が出ている状況で、
ドクターストップをかけられた時も
、「ちょっと、別荘に
行って参ります」と、おっしゃったそうですが、それほど
度胸のすわったお方だったようです。


昭和3118日に、入院されましたが、それから少しも
熱が下がらず、27日には、敗血症と診断されました。


25日に、容態悪化と言うことで、意識も混沌とされる
状態の中で、お医者さまから「今日が最後かもわかり
ません」と言うことが、ご家族に伝えられました。

27日に、武子夫人のお兄さまの木辺孝慈さまが、
枕辺にお立ちになりますと、武子夫人は、
「どうぞ、ご法話をお願いします」とおっしゃったそうです。


そこで、孝慈さまは、自分の妹の終焉に対して、
「最早やこの世の人としてはお別れせねばなりませんが、
 どうぞお慈悲にすがって お浄土におまいりなされます
ように、次に起こすは、還相回向のはたらき、どうか再び
娑婆世界に還って、弥陀大悲のおいわれをお伝へ
なされるやう。

 ご開山聖人はご和讃に 
《 安楽浄土にいたるひと 五濁悪世にかへりては 
  釈迦牟尼仏(しゃかむにぶつ)のごとくにて 
  利益衆生はきはもなし 》 と仰せられてありますから、
あなたもどうぞ、お釈迦様の通りになって帰っていらっ
しゃい。お待ち申しております。」

その言葉に対して、瀕死の武子夫人は、「また来ます」。
と答えられたそうです。

「この妹の、また来ますという所には、大いなる決定心が
あるものと思いまして 非常に嬉しく私は思いました」。と
お兄様の孝慈さんは述べておられます。
「また来ます」 この終焉の応えこそ、武子夫人の信仰生活
の結論ではなかったのではないかと思います。
 

南無阿弥陀仏のお念仏に見守れながら 私たちも
「また来ます」と言える 生活でありたいと思います。

 妙念寺電話サービスお電話ありがとうございました。
次回は、 2月5日に新しい内容に変わります。

     龍谷大学 籠谷 真智子教授 講演要旨より
     平成11年 西本願寺如月忌講演より一部抜粋