第582回 阿弥陀さまがいっしょ

 平成16年 3月18日〜

妙念寺電話サービスお電話ありがとうございました.

もうだいぶ前のことだといいますが、中国地方の新聞の投書欄に、
主婦の方からの投書があったそうです。


庭に布団を干していたら、その布団を下取りに出して、新しいものを
買いませんかと勧められたといいます。


しかしこの古い布団は、どうしても手放せない思い出があります。

15の歳、中学校を卒業すると同時に住み込みの就職をしました。
冬近く急に寒くなったある日に、田舎の母親が、バスに乗って
布団を届けてくれました。


朝早く家を出たものの、乗降客の多い、一番、二番三番の
バスには、布団は大きすぎて乗せてもらえず、やっと四番バスに
乗せてもらって来たと云うことでした。


「先生と奥さんに可愛がってもらえ」と言い置いて、母さんは
急いで帰って行きました。


バスの通う回数もとても少ない田舎のこと。乗せて貰えず
布団を抱えて、停留所で待つ母さんは、とても寒かっただろう。


そう思ったら結婚する時にも、里に置いて置くという気持ちに
なれず、持って出た布団。

とても新しい布団の下取りには出せません。

こんな投書です。
住み込んで独りぼっち。まだ幼い娘に、寒い思いを
させられないと、思い立ったら、いても立ってもいられない
母親の気持ちの表れだったのでしょう。


 またこんな話を聞きました。

九十歳で亡くなったお父さん。十人の子供がいたのに、
お葬式には、四人しか参列出来ず。子供を先出させる、
六回も悲しい思いをされたこの方は、
「すまんな、すまんだった。自分が親にして貰ったことの、
何分の一も、お前たちにしてやれなかった。すまんじゃった」と、
子供さんへ言われて亡くなられたということです。


人間は、自分がやったことはよく覚えていますが、自分が
お世話をかけたことは、ほとんど忘れています。


よくよく考えてみると、私がお世話をかけたことのほんの
少しも次の世代へ返すことは出来ていない。


多くの命をいただきながら、ほんの少しもお返しする
ことの出来ないこの私たち。


思えば思うほど、南無阿弥陀仏しかないことに
気づかされます。


南無阿弥陀仏は、多くの方々の御恩を味わわせて
いただく言葉です。

南无阿弥陀仏を口に、支えられ生かされていることを
いつも阿弥陀さまが いっしょであることを
味わえる豊かな人生を送りたいものです。

妙念寺電話サービスお電話ありがとうございました。
次回は、3月25日に新しい内容に変わります。