第590回 宗教とは
平成16年 5月13日 〜
妙念寺電話サービスお電話アリガトウございました。
こんな文章に出合いました。
東京築地本願寺の輪番だった中西智海先生の文章です。
金子大栄先生から学んだお言葉に「人生は道なり。道とは自らの責任に
おいて歩むものなり」と、もう一つは「念仏は人生への姿勢を教える
ものである」があります。
時間が経てば経つほど、今日という時代に大切なお言葉であると、
味わっておるわけでございます。
日本の国は、公立の学校では宗教教育は出来ないのでありますが、
考えてみますと、まことに困ったものであります。
逆に申しますと、何か宗教は「ああいうものに凝ってはならない」と
いうような怪しげなものという認識があるのだろうと思います。
日本の教育の中では「正しい宗教とは人生に何をもたらすものか」と
いうことさえも教えられておりません。
世界の先進国で教養として「宗教とは何か」を教えていない国を
私は知りません。
宗教とは人生の究極的な意味を明らかにし、人間の究極的な
解決にかかわる文化現象である。(岸本英夫)
私は今でも宗教の定義については、東京大学の宗教学の教授で
ありました岸本英夫氏のこの定義を大事にしております。
岸本先生は 最後は癌でお亡くなりになって、宗教学者の癌の死と
いうことで話題になった方でありますが、生涯「人生にとって宗教とは
何か」というテーマを追究された方です。
少なくとも四十年ほどは、この宗教の定義を模索しておられました。
そして[宗教学]という一札の本を残されてお亡くなりになりました。
この宗教学という書物は現在十数カ国語に翻訳されている世界的な
名著であります。(略) 宗教とは人生のどんづまりの、究極的な、
揺るがぬ解決です。宗教とは人生の究極的な意味です。
これだけはきちっと腹の中へ入れておくべきです。
仏様の話といったら「ああ、向こう側の彼岸の話か。今は金と教育の
ことで頭がいっぱいだ。
こんなに忙しいのに彼岸の話とか仏の側のお話なんか何になる」と
いう人がいますが、宗教の出発点は、人間のいのちと人生とを
しっかり見つめることです。
ここにはものを比べての「価値」が問題にされておりません。
かつて、山内得立という立派な学者がおられました。大学院の
最後の授業の日に「長いこと講義してきたが、宗教とはやはり
意味の世界なんだなあ」と、何回もポソッと言われた言葉は
忘れられません。
宗教は意味の世界です。値段とか価値とかいう言葉は使いません。
「人生を生きていくのにどれだけの値打ちがあるんや、価値があるんや、
教えてちょうだい」と言いますが、そういう発想がもはや宗教的では
ないのです。
「価値があるかないか」という問いは、「あったら受け入れて、
なかったらやめておこうか」という発想です。
そんな程度で宗教を尋ねるんですか。
この賜りたる命をなんとしても意味づけの出来る人間になれ、
ということではないですか。と書かれております。
妙念寺電話サービスお電話ありがとうございました。
次回は、5月20日に新しい内容にかわります。
在家仏教6月号 悲喜を慶ぶ道
中西智海 前築地本願寺輪番
本願寺派勧学