第606回 人は食うために

 
平成16年 9月 2日〜

妙念寺電話サービスお電話ありがとうございます。

いよいよ10年半に一度の巡番報恩講を私共の寺でお勤め
させていただきます。


ご講師は、何度もご紹介していますが、豊島学由先生です。
その豊島先生のご本に、こんなところがありました。
「喜怒哀楽の声」という本願寺から出版された本の中の言葉です。


〇 願いがかかった大切ないのちです
     我がもの顔で過ごしては勿体ない

これは自分の身体、自分の人生、私の勝手でしょうと、
暴飲暴食、我がままな怠惰な生活をしていますが、
両親をはじめ、多くの仲間たちや、私が生命を奪った数多い生物、
数え切れない多くの願いがかかったこの大切ないのち、空しく
すごしては勿体ないと気づかせていただける。
それがお念仏の生活だと思います。


〇 迷信邪信は 醜い中身隠すため
   外を道徳で化粧し真面目な人を誘惑する


私たちは 自分の知識で理解出来ることだけが大切だと
思っています。
道徳ということは、人間の常識の範囲でよく理解出来ることが
多いものです。
真面目で、正直な人ほど迷信や邪信に惑わされやすいものです。


目先の中途半端なことだけにとらわれず、根本の教えを、時代が
変わっても変わらない、科学が進歩しても決して間違いない、
確かな教えをお聴聞いただきたいものです。


〇 人生に 希望がもてないのも辛いけれど
      問をもたず過すのも 亦空しい

問を持ったとき、気づいてくることがあります。
お聴聞は、その気づきと、問を希望を私たちに与えてくれるものです。

〇 怠惰な生活に慣れてくると
   ひとの喜びや悲しみに鈍くなる


精一杯生きている人だから、見えて来るもの感じるものが
あるのでしょう。
怠惰な生活からは、何も発見も喜びも悲しみも、見えてこないものです。
厳しい言葉です。


〇 食えなければ死ぬ 食うても死ぬ
   人は食うためにのみ生まれてきたのではない

今度の巡番報恩講、またとない尊いご縁とお誘いしても、忙しい忙しい、
食うためには、働かねばと、なかなかご縁に会っていただけない人が
あります。


この言葉をかみしめ、人間が生まれてきた意味を、この私が
生きていることの意味を、はっきりとお聴聞させていただきたいものです。


妙念寺電話サービスお電話ありがとうございました。
次回は、9月9日に新しい内容に変わります。


  出版社 本願寺出版社「喜怒哀楽の声」   定価420円 

  〇の部分だけが、作者の言葉で  その後に続く 文章の部分は、
   掲載者の
味わいです。