第617回 味わえるか人生

 
平成16年11月18日~

妙念寺電話サービスお電話ありがとうございました。

秋の法座、沢山の方にお参りいただきまことにありがとうございました。

その時にも申しましたが、よく本堂でお聴聞くださる方と、お墓参りだけで
まったく本堂に座ることのない方とどこか違うのはどうしてだろうかということです。


その手掛かりは、お念仏を喜ぶ方の言葉を見ることでうなずくことが出来そうです。

仏教に出会った方は、普通の方には見えないものが見え、感じられないものが
感じられて来るのではないかと思います。


相田みつをさんに、こんな歌があります。

見えない根っこ

  花を支える枝
  枝を支える幹
  幹を支える根 
  根は見えねんだなあ

  という歌です。

花の美しさだけを見ている人と、その花を支える枝や幹、そして地表には出ていない
根っこまでも、感じることが出来る人と、まったく感じない人との違いです。

同じ人生なのに、大きく違います。

金子みすずさんのこんな歌もあります。

つもった雪

 上の雪 寒むかろな つめたい月がさしていて
 下の雪 重かろな  何百人ものせていて
 中の雪 さみしかろな 空も地べたも見えないで。

これもまた、ぼんやりとした人生には感じられない、奥の深さです。
 
 私共の境内の柿の葉っぱも紅葉して、残りわずかになりました。
夏の暑い時しか知らない蝉には、この紅葉も寒い冬も、まったく知らない一生だったと
思います。


本堂に座って、阿弥陀さまのお話を聞き、お念仏の生活をしている人は、
見えないものも見え、平凡な生活では味わえない、奥深い喜びを感じることが
出来るのだと思います。
同じ一度の人生ならば、お念仏に出会った喜び多い豊かな人生を送りたいものです。


この私のために働きかけていただく、多くの人びとや私を取り巻くすべてのものの
働きかけを、阿弥陀さまの働きを南无阿弥陀仏のお念仏とともに味わわせて
頂きたいものです。


そうすると、人間としてこの世に生まれてきた意味や、人間として今何をすれば
いいのかが、少しずつ見えてくるものです。


妙念寺電話サービスお電話ありがとうございました。
次回は、11月25日に新しい内容に変わります。