618回 もうひとりの自分

 
平成16年 11月25日~

妙念寺電話サービスお電話ありがとうございました。

こんな話を聞いた事があります。
人間は、心の中に二つの自分を持っている。一人は、合理主義者で自分の
損得で行動する小利口な自分と、もう一人は、それに反発する理想的な自分です。


お寺にお参りしてお聴聞しておいでの方は、そのもう一つの自分が大きくなり、
はっきりと自信をもって生きておられる方が多いのではないかと、思えます。 


 真面目に堅実に生活していればいるほど、毎日毎日、次から次から問題が
起こり、どうすればよいのか、悩み苦しむことばかりです。右に行くのか左に
いくのか、それとも引き返すのか、眠られぬ夜を送っておいでの方も多いと
思います。


 学校教育ではこうして迷ったときは、正しいと思う方へ、真っすぐ進めと
教えてくれているように思います。


 正しい方向とは、自分にとって得か損かの判断基準があり、自分にとって
役立つか役立たないかであり。人間は努力さえすればいかなる困難も
乗り越えられる、目標に向かってのたゆまぬ努力こそが大事である。


迷わず進めば望みは必ず叶う、希望が叶えられないのは、努力が足りない、
さあ頑張ろう、努力の成果は必ず報われるということであるように感じられます。


 ところが、お寺でお説教を聞き、仏さまの話を聞かせていただくと、私たちが
正しいと思っている損か得かの判断基準や、役立つか役立たないかや、
人間の努力こそが、すべてではないことが、すこしは見えてくるものです。


とともに、努力すれば努力するほど、自分の気づかないところで、
この私のために、努力いただいている人びとや、多くの生き物、宇宙自然が、
損や得ではなく、ごく自然に当たり前のように、この私を生かすために
働きかけていることに気づかされるものです。


 そうしたことに、少しでも気づき始めると私の行動は変わってくるのだと思います。
自分中心の自己中心の私が、だんだんと小さくなって、仏さんの理想とする
もう一人の私が少しずつ目覚めてくるように思います。


ところが、私を取り巻く環境は損だ得だ、勝った負けたと一喜一憂する
人びとの中にいます。


ついつい引きづられ、引き込まれ、腹が立ってり悔しかったりするものです。

お聴聞し、お念仏を口にする生活をしている人は、そうした周りの雑音に
引きこまれずに、迷わず理想の生き方が出来るようになってくるのだと思います。


私の中の、もう一つの自分の方が大きくなってくるとき、仏さまの理想の方向へと
少しは踏み出すことが出来るのです。


自分の中の二人の私、どちらの私で行動するのか、それによって、私の人生は、
生き方は大きく違って来るのだと思います。 


仏さまの願いに近づく生活をしてみると、いままで見えなかったものが見え、
感じられなかった大きな喜びが、味わえるようになってくるのだと思います。


妙念寺電話サービスお電話ありがとうございました。
次回は、12月1日に新しい内容に変わります。