第635回 体験してみて

 平成17年 3月24日 〜

妙念寺電話サービスお電話ありがとうございます。

ところで、ラジオ放送が始まって八十周年ということで、懐かしい音楽やドラマ、
子供番組、当時を知る人びとが記念番組に登場しています。


戦後の何もない時代は、全国にいきわたるただ一つの文化、ラジオ放送の意味は
非常に大きかったと思います。

そして放送の送り手にも使命感や大きな願いが込められていたことが感じとられます。

同じ娯楽番組でも、上質な喜び、子供番組では大人たちの希望や夢が込められて
いたことが、改めて確認できました。


 ところで、今、ニッポン放送の株式をめぐって連日、面白おかしく興味本位の
報道が行われています。


インターネット会社の若い社長さんと、テレビ会社のベテラン会長さんが、
毎日のように登場しています。


「若い者はお金のことだけで放送というものを分かっていない」というテレビの会長さんと、
「新しいメデアとの協調こそが大事」 というノーネクタイの若者、それに、評論家が
入り交じって、連日の大論戦が行われています。


 放送八十年の歴史の中で、テレビの初期の時代から、30年近く関わってきた
私としては、映画が全盛の頃に、「テレビに何ができるか。あんな電気紙芝居に
文化的なことが出来るものか」と、言われていた当時のことが思い出されてなりません。


映画俳優は絶対にテレビには出さないという協定があり、出演を依頼する時には、
映画会社に、いちいちお願いの公文書を出す必要がありました。


それから、20年でテレビ放送は一つの文化を築きました。そして映画はその主役の座を
譲らなければなりませんでした。


好調な映画で仕事をしていた人びとには、自分たちの努力で作り上げた映画が、
あんな素人たちに分かるものかとの自信があったのでしょう。


しかし、電波という新しいジャンルは、フイルムで劇場上映する、映画の人たちの
尺度では計れないものでした。


今回の論戦で、いま一生懸命にテレビで働く出演者が、新しいメデアに興味や関心を
示さないのは分かります。


しかし、謙虚な気持ちで体験してみて、新しいメデアの力を味わって見ることが
絶対に必要であるとつくづく感じます。


 同じように、お念仏の教えも、頭で考えても、世間の常識で考えても絶対に
理解出来るものではありません。


謙虚な気持ちで、お聴聞しお念仏の生活してみてはじめて、うなずくことが出来る
世界です。
自分の世界だけが絶対ではなく、もっと違う世界があることを、素直に受け入れることこそ、
人生を豊かに意味あるものにするとつくづく感じます。 


「お念仏に何が出来るか」ではなく、現状に胡座をかかず、一度体験していただきたいと、
心よりお薦めいたします。


体験して始めて分かることが多いものです。

妙念寺電話サービスお電話ありがとうございます。
次回は、3月31日に新しい内容に変わります。