第636回 なるようになる

平成17年 3月31日 〜

妙念寺電話サービスお電話ありがとうございます。
災害は忘れたころにやって来るといいますが、実に100年に一度の
大きな地震に見舞われました。


月忌参りの途中、一度お寺に戻ってみようと、参道に入った途端に、
耳鳴りの様な大きな音がして、めまいがしたのかと勘違いするように
揺れ始めました。


ちょうど本堂の全景を正面から見る位置でのことです。
青空の中に揺れる本堂を目の当たりにしてしまいました。


急斜面の瓦が落ちてくるのではないか、建物全体がつぶれるのではないかと、
目を離すことが出来ません。


ニュースの映像や神戸の震災後に見た無惨な本堂の姿がダブってきて、
どうしようもない辛い時間でした。


 近くのお寺では本堂を新しく建て替えられているのに、古いものに
価値があると、古いことを自慢にしていましたが、こうゆうときには不安が
尚一層強まるものです。


数年前、屋根裏をのぞいたとき、余りにも小さな木材で屋根瓦を支えられて
いたことも思い出しました。


麦藁拭きだったものに、瓦を乗せ替えたと思われる簡単な骨組みでした。

 周りでは、地震の音とともに悲鳴やおびえた声が聞こえますが、本堂から
目を離すと、その間に倒れてしまうのではないかと、ひたすらに本堂を
凝視していました。


長く長く感じました。

どうしようもない、なるようにしかならない。と思ったときに、南無阿弥陀仏、
南無阿弥陀仏と口にしていました。


 これがもし、屋内で地震にあったのなら、自分の生命のことがまず不安
でしょうが、目の前の本堂のことだけがすべてでした。


揺れがおさまって、ホットした声がお参りの方々から聞こえてきたとき、
「本堂が無事でよかった本堂がこわれなくて良かった」と、ひとりつぶやいて
いました。


石灯籠や墓石が幾つか倒れたものの予想外に被害は少なく、ほっとしました。

そして思いました。私の人生も本人の力でどうすることも出来ないことが多いもの。

地震や台風、病気やケガ、どんなに注意しても予防しても、逃れることが
出来ないことも多いものです。

自分でやれることをやったら後は、任すより仕方がないこと、成るようにしか
成らないものとつくづく感じました。


ご文章に「もろもろの雑行をなげすてて、一心に弥陀に帰命すれば、
不可思議の願力として、仏のかたより・・・」の言葉が、思い出されました。    


御蔭さまで本堂は無事でした。ありがとうございますと、思うとともに、
なるようにしかならないもの、ただお念仏しかないということを、つくづく
味わわせていただく出来事でした。


そして、観無量寿経というお経には、阿弥陀さまの両脇におられる菩薩さま
観音・勢至のことが説かれていますが、勢至菩薩が歩まれたり、座られたり
する時には、すべての世界が揺れ動くとありますが、この私に仏さまの働きを
気づかせていただいたのだろうとも味わっています。


妙念寺電話サービスお電話ありがとうございます。
次回は、4月6日に新しい内容に変わります。