第642回 生きてる間に

  平成17年 5月12日〜

妙念寺電話サービスお電話ありがとうございます。

結婚式が続くと、続くもので、このところ連続して参列させて
いただきました。


披露宴でのこと、花嫁のお父さんが各テーブルを回って一人ずつ
挨拶されます。
住まいの場所や、職業、それぞれに合わせて、一言ずつ短い言葉で
感謝の気持ちを表しておられ、可愛い娘のために、大変なご苦労だと
思います。

ところが、私のところに来て、こんなことをおっしゃいました。

「私は無宗教でして、自分が死んだら、パアート散骨して欲しいと
いっています。」とビールを注ぎながらおっしゃいました。


「お孫さんのためにも、何か芯になるものをお持ちになることが大事だと
おもいますよ」と申しましたが、「学生時代に習いましたが、どの宗教も、
同じようなものでしょう」とおっしゃいます。


「そうとばかりは言えませんが、共通しているのは、殺すことは良くない、
盗まない、ウソを付かない、みだらな男女関係は良くないなど、
人間として基本になる重要な部分は近いようですね」とお答えしました。   


日頃、ご門徒とばかりお話していますので、久しぶりにこうした
会話をしました。


都会生活をしている文化人にとっては、宗教は過去の古い遺産、
現代の生活とは関わりのないもの、死んだときだけお世話になるもの、
だから自分には関係ない、死んでしまえば終わりだから、という感覚のようです。


しかし、宗教は生きている間にこそ必要であり、人間として生きていくために
最も大事なことを伝えるものだと、お話すべきだったと、反省しています。


無宗教だとおっしゃるお父さんが育てたお嬢さんを、見ていますと、
やはりどこか違和感があります。


今はやりの人前結婚式を終えて退室する時に、自分の家族や親戚にだけ
手を振り笑顔を振り蒔き、相手の親戚や来賓の方には眼もくれなかったり、
披露宴の最後にお別れの手紙を読む時には、自分の両親や妹に対する
思いを延々と述べるだけで、新郎の両親や親戚への挨拶の言葉が
まったく無かったり、祝いの歌を歌ってくれる来賓の方へは、目もむけず、
お友達との記念写真や会話に夢中になったり、どこか自己中心で周りのことや、
相手への思いやりの心がまったく感じられません。


そして既に赤ちゃんが出来ていることを来賓挨拶で、暴露される等など、
新婦に社会性がないというばかりではなく、親が親の責任を果たしていない
のではないかと、感じられてきます。


人間が人間として生きていくために最も大事なことを、宗教は、お念仏の教えは
伝えてきたのだと思います。


ご門徒でない方の結婚式に参列して、孫や将来の子孫のことを考えたら、
やはり宗教は大事なものだと尚一層強く感じました。


妙念寺電話サービスお電話ありがとうございました。
次回は、5月19日に新しい内容に変わります。