第643回 お念仏申す身になったら

 平成17年 5月19日〜

妙念寺電話サービスお電話ありがとうございます。

こんな文章に出会いました。

 お念仏申す身になったら

  苦しみがなくなるのかと思ったら

  そうではなかった

  苦しみもいとわないようになるのであった

  苦しみこそ自分を生かしてくれる薬なのである

  苦もまたありがたい味わいにかわる 」
                               (業の意味がかわる)


また

「 我が妻に、子に、孫に

  六十年の長い生涯に

  何ひとつよいこともしてやれなかった

  いつもお世話になるばかりでーーー

  だがただ一つもろうてもらいたいものがある

  それは念仏の信心である

  念仏一つありさえすれば困らぬでなあ

  否、困ってもかまわぬようになるのが

  真の念仏なるゆえじゃ

  淋しかったら念仏

  つらかったら念仏

  うれしかっても念仏

  お念仏はすべてが生かされる 」
                                  (お念仏の深さ)


「 あまり天井裏で鼠がさわがしくかけまわるので

  お念仏申してみると

  不思議なことにすぐに静かになった

  お念仏はねずみにさえ通じるとみえますなあと

  Oさんがいわれたことであるが

  さもあろうと自分にはうなずける

  このかたくなな意地っ張りの強い私にさえ

  通じてくださるものじゃもの 」
                                 (徳禽獣に及ぶ)

 このように味わっておられる方があります。
お念仏に生きることの喜びを、お念仏の働きを、味わい深く表現して
いただき誠にありがたいものです。

「念仏一つありさえすれば困らぬでなあ
 否、困ってもかまわぬようになるのが
 真の念仏なるゆえじゃ」 との言葉です。

どうぞ、嬉しいときも苦しいときも悲しいときも、変わらずお念仏の
毎日でありたいものです。

妙念寺電話サービスお電話ありがとうございます。
次回は、5月26日に新しい内容に変わります。

        藤原浄休(ふじわら じょうきゅう)  明治27年〜昭和38年
          高松市鹿角町、法恩寺元住職
             同朋舎メデイアプラン発行
               
浄土真宗名法話講演選集第4巻より