第644回 浄土真宗の救い

 平成17年 5月26日〜

妙念寺電話サービスお電話ありがとうございます。

こんな文章を送っていただきました。

京都にある浄土真宗の中央仏教学院の主催で毎年、
京都新聞社文化ホールで開かれている「真宗講座」の講演録です。


本願寺勧学で、行信教校校長の梯實圓先生の「浄土真宗の救い」
という講演の記録をいただきました。


その最初の部分が大変有り難いので、ごく一部分ですがご紹介します。

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「 お浄土へ往くことが究極の目的ですか」と親鸞聖人にお尋ねしたら、
おそらく聖人は「違う」と言われることでしょう。」


「じゃあ何が真の目的なんですか」と訊ねたら、「一切衆生を救済する
ことのできる身にして頂き、生きとし生けるすべてのものを救い続けることが
できることが究極の目的なのだ」と仰せられるでしょう。


お浄土というのは遊びに行くとこと違います。なぜ浄土へ往生しなければ
ならんのか。
なぜ仏に成らねばならんのか。
と言ったときに、それは、すべての人々の悩みを引き受け、すべての人々の
悲しみに寄り添って、その悲しみは私が引き受けるから、あなたがどうぞ幸せに
なって下さいと本気で言えるような、そういう能力をつけるために
浄土へ往くんだと、聖人はおっしゃるはずです。


それを親鸞聖人は「往相廻向の利益には、還相廻向に回入せり」と、
よろこんでいらっしゃるのです。

「この世ではどうしてやることもできなかった人々も、今度私が仏に成らせて
頂いたならば、きっと救わせていただきます。
そういうさとりの身に成らせて頂くことが有り難い」と、聖人はよろこんで
いらっしゃったんでしょう『教行証文類』の「証文類」の半分以上は還相の
はたらきをあらわしてあるのがその心を示されたものです。


さとりとは何かといえば「それは一切衆生を救済する能力が身につき、
そして万人の上に生き続けていくことだ。それが阿弥陀仏が与えて
くださる救い、さとりというものの内容であります。


それを完成するためにお浄土へ往くんだ」といわれているわけです。

みなさんはそんなことはないと思いますが、よく誤解されているんですね。

お浄土へ往くということは自分が楽するために、遊びに行くくらいに思っている。
そんなところは天国であって、浄土ではありません。天国は、所詮迷いの
境界ですから往ったって仕方がないのです。」・・・・・


お話の導入部の一部ですが、さとるということ、お浄土へ生まれるということの
本質を分かりやすく説いていただいています。


まことに有り難いお話です。

お浄土へ生まれさせていただくということの意味を、味わわせて
いただきたいものです。


妙念寺電話サービスお電話ありがとうございます。
次回は、6月2日に新しい内容に変わります。