第645回 みんな生きている

 平成17年 6月 2日〜

妙念寺電話サービスお電話ありがとうございます。

今月の法話カレンダーのことばに

「草たちが季節を告げている 抜くのをためらう庭掃除」
という言葉があります。


ちょっと目を離すと、墓地も庭も雑草でおおわれてしまいます。
いまいましく抜いていますが、よく考えると草たちも精一杯
生きようとしているのでしょう。


それなのに私は邪魔者として扱っています。
自分にとって都合のよいものだけが、大事だと思い込んでいる
勝手な生き方をしています。

 新聞によりますと、浄土真宗の大谷派の宗祖750回遠忌のテーマは

「今、いのちがあなたを生きている」ということだそうです。

いのちの私有化をしていることに気づこうということのようです。
自分のいのちも自分だけのものではありません。
遠い過去から受け継いできたいのちです。
そして、私が生きていくためには多くの生き物のいのちを頂いて
今を生きています。


このいのちは私だけのものではなく、気づかない多くの人びと、
多くの生き物、すべてに生かされていることを忘れています。


それは私だけではありません。同じ人間であれば皆、同じく
生かされているいのちです。


人間だけではなく、動物も植物もすべてが生かされているいのち、
私のいのちを大事だと思うように、他のいのちも決して粗末に
してはなりません。


そう思うと、庭の雑草も花壇の花も、小鳥も烏も、犬も猫も、
牛も馬も、魚も貝もみんなみんな同じ生き物です。


子供のうたに、みんなみんな 生きているんだ友達なんだ、とあります。

まずはこの私のいのちを見直し、しっかりと生きていくことが、
同じ生き物を生かしていくことに通ずるのでしょう。


季節を告げる雑草たちにも  同じ生き物としての思いを持って、
南无阿弥陀仏を口にし、耳に聞きながら生きていきたいものです。


妙念寺電話サービスお電話ありがとうございました。
次回は、6月9日に新しい内容に変わります。