第648回 百ぺん念仏

 平成17年 6月23日〜

妙念寺電話サービスお電話ありがとうございます。
こんな話を聞きました。

昔、ご本山では朝のお勤めが終わり、みんなで領解文を称えた後に、
「百ぺん念仏」ということが行われていたといいます。


全員で大きな声でお念仏を口にし、お堂の中に反響する南无阿弥陀仏を
聞かせて頂き、だいたい百ぺん程称えたところで、係の人の一声大きい、
「南无阿弥陀仏」を合図に、お念仏を止めるということが行われていたといいます。


こうした歴史的なことを、聞いた方が、ご自分のお寺では、これを真似て、
もう30年以上百ぺん念仏を行っていると聞きました。


百ぺんという数にこだららず、ある時は、「三十秒念仏」だったり、
「一分間念仏」を実行しているというお話を頂きました。


 ご本山で本当に、こうしたことが行われていたかどうかは、正確ではありませんが、
皆そろって長めにお念仏をして、お念仏を聞くことは、誠に有り難いことです。


お話頂いたこのご住職は、領解文の時には両手を合わせ合掌するものの、
その後の長めのお念仏の時には、合掌する手を解いて、膝の上においての
お念仏を薦めておられるとのことです。



 お葬式の時などに見かけるのは、日頃お念仏を口にしない人たちが、
南无阿弥陀仏が聞こえてくると、慌てて合掌をする姿です。


誰か一人がお念仏と同時に手を合わせると、遅れてはならないと急いで手を
合わせている姿が見られます。

これは、お念仏を口にするときは、手を合わせるものだと誤解している方が
あるためなのでしょう。


あるいは、浄土真宗以外のご宗旨では、ことによると、念仏や題目を口に
する時には、必ず合掌するという作法があるのかもしれません。


しかし、浄土真宗のお念仏は報恩感謝のお念仏です。ですから、
「寝ても覚めても命のあらんかぎりは称名念仏すべきものなり」と
蓮如上人がおっしゃるように、お仏壇の前だけではなく、歩いている時も、
仕事をしている時も、お風呂に入っている時も、時と所を選ばず
お念仏してもよいご宗旨です。


そして、お念仏するときに必ず合掌をするということは、とても難しく
出来るものではありません。

そこで浄土真宗の本願寺派では、手を合わせ合掌するのは、儀式の始めと
終わりと決められています。


儀式の途中であっても、手を合わせなくても口にお念仏をすることが出来るのです。
吸う息、吐く息忘れないでしているように、おかしい時に自然に笑い声が出るように、
痛いときイタツ、イタイとついつい口に出るように、自然に「南无阿弥陀仏」が
口に出てもいいものです。


遠慮せずにお念仏を口にし、耳に聞かせていただきたいものです。

お念仏の声は、多くの仏さま方が、阿弥陀如来の働きの素晴らしさを、
讃嘆される言葉、ほめ讃えられる言葉です。


お念仏の意味が、分からない人には奇異な言葉に聞こえるでしょうが、
仏さまは勿論、お念仏を喜ぶ多くの人にとっては、誠に有り難い、
嬉しい言葉に聞こえるものです。


とき、所を選ばず、寝ても覚めてもいのちのあらん限りは、報恩のお念仏を
聞かせていただきたいものです。


妙念寺電話サービスお電話ありがとうございました。
次回は、6月30日に新しい内容に変わります。