第649回 如来の信楽

 平成17年 6月30日〜

妙念寺電話サービスお電話ありがとうございます。

こんな文章に出会いました。
本願寺派の月刊誌「宗報」六月号の巻頭の言葉です。

如来の信楽」 という深川倫雄和上の文章です。

私どもの宗教は『大無量寿経』弥陀分に説かれるものである。

この弥陀分の解釈の仕方を親鸞聖人のお示しに聞く。
即ち聖人をご開山聖人と仰ぐのである。

『大経』弥陀分には、法蔵菩薩の願行と弥陀成仏のおすがたが
説かれている。

それは光寿二無量の仏さま、国土成就のお浄土、衆生救済の
成就などである。


総じていえば、阿弥陀如来の因と果である。
これをご開山は「仏願の生起本末」と仰った。
それは『大経』には「仏さまが衆生を救いたまう」ことが告げられて
いるからである。


私どもの側から考えることは説かれていない。
終始如来さまの話だけである。それで私どもからは他力である。
この『大経』の仏法を浄土真宗という。

 この仏さまは四十八願を成就なさるために兆載永劫の修行をされた。
行をして功徳を積む。
その功徳が満ちて成仏する。
この積んだ功徳を同時に衆生のものにもするという。
これを令諸衆生功徳成就と説いてある。


衆生の功徳も同時に仕上げたぞと告げたまう。
如来の功徳を回向したという語は経中にこれだけである。

即ち衆生の処に南無阿弥陀仏を仕上げられた。本願は如来の本願である。

三心は如来の三心である。
信楽も如来の信楽である。

如来は自ら生起本末に疑いない。
即ち如来は南無阿弥陀仏で十方衆生を救うことに疑いはないのである。
これを如来の信楽という。


この信楽が衆生に開発するのである。・・・

 このようにお書きいただいています。
私たちは人間の側から考えていますが、すべて如来の側からの願いなのです。
ですから、他力、仏さまの側からの救いなのです。
如来は、南無阿弥陀仏で衆生が救われることに疑いは一つもないのである。

疑いは人間の側にあるのである。

妙念寺電話サービスお電話ありがとうございました。
次回は、七月七日に新しい内容に変わります。