第650回 レンコンの穴

 平成17年 7月 7日〜

妙念寺電話サービスお電話ありがとうございます。

歯から来たのか、夏風邪なのか、扁桃腺が一方だけ腫れて
声が出なくなって困っています。言葉が出ないことは本当に
苦しいものです。


日頃は何の疑問の無く話しているのに、声を出す時に痛かったり、
相手によく伝わらなかったり、苦労しています。


伝えるということは非常に難しいものです。
伝えるといえば、大人たちはもっともっと若者たちに伝えておくべき
ことが、あるのではないかと思います。


自分が経験したことを次の時代へ伝えていくことは、親子一緒に
仕事をする農業などでは、毎日毎日の生活の中で、自然と伝える
ことが出来たのでしょう。


しかし、現代では、ほとんどの農家では、外に働きにいく子供、
田圃を守るのは年老いた両親、それに、近くの専業農家の
青年たちで、親と子の接触は非常に薄れてきているように感じます。


昔はこんなことを聞いたと、話された方があります。
米と言う字は、八十八と書く、なぜ八十八と書くか知っているか。
農家の人が88回も作業をして作ってくださったもの、残しては
もったいない、こぼしてはもったいないと、教えられてきました。


こんなことを聞いたという方もあります。
ハスの華は、どうして仏さまの花として重宝がられるか知っているか。
汚い泥の中にあって、泥に染まらず美しい花をさかす。
それが仏様の働きに似ているためだと。


そして、レンコンには、茎にも根にも穴が空いている。
穴の数は幾つあるか知っているか。周りに九つ中に一つ、
大きいのもあれば小さいのもある。
これは冬になって葉っぱが枯れて空気がとり込めなくなっても
根に空気を貯めにおけば困らないためだと。


そして、その十の穴は、帰命尽十方無碍光如来の十字のことだ、
南无阿弥陀仏は六字、お仏壇の右側に掛けてあるのが、
この帰命尽十方無碍光如来の10の文字じゃ、
蓮根を食べるときには、南无阿弥陀仏、帰命尽十方無碍光如来と
言いながら食べるといいと、聞いたことがあるといいます。


10あるはずの穴が九つの時がたまたまあったときに、それを指摘すると。
爺さん、お仏壇の左側には、南无不可思議光如来と書いてあるではないか。
数えてみろ、九文字だぞ。これもやっぱり仏様のはたらきじゃなあと、
得意げに言われたことがある。というのです。


それに今では、キュウリは真っすぐな物だけが店頭に出るように
なりましたが、昔は丸く丸まっていたものです。

そして刺があったものです。

こういうことを聞いたという方もあります。

刺があるものは、美味しいからじゃ。他の動物に食べられんように、
刺がある。丸うなるのは、用心しておるからじゃ。
見かけ悪くても、中身の立派な人間にならにゃあならんぞ。
お前の回りに刺のある人がおったら、中身は立派かもしれん。
いやなヤツだとそっぽを向かんで、じっくりと味わってみろ。

意外と刺の無い者より、刺の有る方が中身のある人が多いもんじゃぞ。

こういうことをおじいちゃんに聞いたと言う方がありました。
それぞれの家で、子供や孫のことを思い、伝えてきた言葉だろうと
思います。


仏教も、お釈迦さまの時代から、数千年かかって、人間として
最も大事なことを、人間として最も生きがい有る生き方を、
人間として進んで行く方向を示してくださるために受け継がれて
きたのだと思います。


南无阿弥陀仏は、その教えのすべてを、六字に縮めてくださった言葉。
この言葉を受け取った子供たちが、その謎を解読して、次の世代へと
伝えていったものでしょう。

いま私たちの時代で、この教えを途絶えさせては、もったいない
大事な宝物です。


時と、処を選ばず、南无阿弥陀仏を口にし、お念仏を喜び、
伝える毎日でありたいものです。


妙念寺電話サービスお電話ありがとうございます。
次回は、7月14日に新しい内容に変わります。