第651回 もし生きていたなら

 平成17年 7月14日〜

妙念寺電話サービスお電話ありがとうございます。

こんな話を聞きました。

よくお聴聞をしている人が、尊敬するご住職と話している時に、
こんな意味のことを言ったといいます。


「私は、まだしなくてはならないことが、沢山ありますが、もしここで
死んでしまったらどうなるのでしょうか」といったところが、ご住職は、
「あなたは、もし死んだらと言いますが、それは”もし”のつけどころが、
まちがってはいませんか」


「もし死んだら」ではなくて、「もし生きていたならば」ではないかと
思いますよ。


死ぬことは、すでにきまっていることなのですから、「もしこの上生きて
いたならば、どうするか」と、いうべきではないかと思いますよと。


お釈迦さまも、おっしゃっておいでになります。人の命は、今日あって
明日ない命、誰が明日の命を保証するものがあるのか。


だから過ぎた日のことは悔やむことなく、また来ない先のことはあこがれず、
取り越し苦労をせず、この現在を大切にふみしめてゆけば、身も心も
すこやかになると。お釈迦さまはおっしゃっています。


これこそ、人間としての覚悟でなくてはならないでしょう。
明日もあるからと思うと、仕事に力がはいらない。
明日はあてにならないから、今日こそ一生懸命にやるべきことを
やっておくという思いになってこそ、ほんとうによい自分の生き方に
なってゆくのであります。


 また、こんな有り難い方があったともいいます。
一日を終えて床に付くときに、毎晩のように、長い間ありがとうございました。
もうこれでまいらせて頂きます。南无阿弥陀仏、南无阿弥陀仏と。
今生最後のお念仏をされ、次の朝、パッチリとめが覚めると、
ああまた生まれさせていただいた。有り難いことだ、南无阿弥陀仏、
南无阿弥陀仏とお念仏をされた方があるといいます。


明日も明後日もあると思い、怠惰な生活をするのではなく、毎日、
今日が最後、今日最後と思える人生は、とても豊かな充実した人生だと
思います。


もし明日生きていたらなら、あれもしよう、これもしよう。
今日のことは今日ちゃんと成し終えて、一日を終え、新しい朝を、
新しい一日、新鮮な一日を迎えたいものです。


もし、明日も生きていたら、今までの惰性ではなく、新たな気持ちの、
新鮮な一日を送りたいと思います。


南无阿弥陀仏南无阿弥陀仏、これまで本当にありがとうございましたと、
一日を終えるお念仏の毎日でありたいと思います。


妙念寺電話サービスお電話ありがとうございます。
次回は、7月21日に新しい内容に変わります。


             昭和55年 小山若丸師著
            法蔵館発行、中陰法要集を参照