第664回 宝の山

 平成17年10月13日〜

妙念寺電話サービスお電話ありがとうございました。

思い出しました。
怠け者の兄弟がいた話です。
ブドウ畑に住む兄弟たちは、大の仕事嫌いでした。
父親の仕事もなかなか手伝わず、ぶらぶらと毎日過ごしていました。

突然に、父親が病気になり、急死しましたが、死ぬ前に、
怠け者の兄弟たちに、こういい残しました。

「いままで、内緒にしていたが、あのぶどう畑には、宝物を埋めている」と。
どこに埋めたのか、何を埋めたのか聞き返したものの返事はありませんでした。

子供たちは、張り切りました。宝物さえ手にいれれば、楽が出来る、
好きなことをやれると、掘り返し始めました。

他の兄弟に先を越されないよう、自分が見つけだすのだと、夢中になって
ぶどう畑を掘り起こしていきました。


しかし、どの兄弟も、残念ながら宝物を見つけだすことが出来ませんでした。
父親にだまされたと、皆ブツブツいいながら、また怠け者の生活に戻って
しまいましたが、夏、気づいてみると ぶどう畑は大豊作になりました
宝物とはこのブドウだったのかと、父親の言葉の意味がやっとわかった
兄弟たちは、それからぶどう畑の手入れをちゃんとするようになった。
というお話しです。


これは、外国の話しではないかと思います。
しかし、日本にも、父親が亡くなる前に、「おれが死んだら親様にたのめ」、
と言い残されて、その意味が分からず、聴聞に聴聞を重ねて、
大きな喜びを得た、因幡の源左さんがいます。


多くの言葉で、伝えてもなかなか伝わらないものですが、先輩たちは
色々と工夫して、最も大事なものを次の世代へ受け継いできたのでしょう。


七高僧のお一人、源信和尚は安楽集に「宝の山に入りて手を空しくして
帰ることなかれ」とおっしゃっているし、
蓮如上人もご文章で、再三、宝の山に入ってむなしく帰るようなことを
しているのではないかと、おっしゃっていただいています。


南无阿弥陀仏一つで救うという阿弥陀如来の教えを、耳をすませば
聞こえてくるのに、雑音ばかり耳に入り、宝の山にいながら気づかずに
生活しているのではないでしょうか。


気づいてみれば、もっと喜んでいいことが、嬉しいことが、有り難いことが、
感動的なことが、大きな夢や希望や生きがいが一杯あるのに、空しく
過ごしている毎日ではないでしょうか。


南无阿弥陀仏で、南无阿弥陀仏を聞くことで、南无阿弥陀仏を口にして、
仏様のご苦労を知ることが出来れば、この私の人生は、大きく変わって
くるものです。


それが、先輩が残してくれた、大きな宝、大きな財産であり、
次の世代に残したい宝物だとおもいます。


妙念寺電話サービスお電話ありがとうございました。
次回は、10月20日に新しい内容に変わります。