第669回 里の母親

 平成17年 11月 17日 〜

妙念寺電話サービスお電話ありがとうございました。

お念仏の教えを、一人でも多くの人に喜んでいただこうと、
岐阜県のお寺で勉強会を始めるという計画があり、お手伝いに
いってきました。

京都の中央仏教学院で一緒に勉強した方のお寺です。

昼と夜と、ご自分のお寺のご門徒ばかりでなく、近くのお寺の
ご住職やご門徒も集まっていただいての、お聴聞の会でした。


子供の頃のご縁が大事と、子供会活動に取り組んでいただいている
お寺や、もうずっと前から勉強会を開いておいでのお寺など、ここでも
お念仏を喜ぶ方々にお遇いできました。


ところで、久しぶりに懐かしい同級生と話しているうちに、こんなことが
現代は分からなくなってきたのではないかと、思いました。


結婚しても「辛抱出来なければ、帰っておいで」という親が多いのが
現代のようです。


一昔前までは、兄弟も多く、結婚していったん家を出たら、離婚して
里に帰ることは、相当の覚悟がいり、とても不可能でした。


どんなに辛いことがあっても、ひたすら絶えて嫁ぎ先の人びとに
受け入れられるように、努力するしかなかったことでしょう。


自分のために色々と注意や助言をしてもらっていると分かっていても、
なかなか素直になれず、人知れず涙を流すことも多かったと思います。


そして、里帰りをする楽しみは、現代のようにいつでも自由に行き来
出来る時代とは違って、特別なことだったと思います。


やっと許しを得ての里帰り、里の母親は、好きな料理を準備して、
迎えてくれる、娘の悲しみや苦しみを、黙っていても全部分かっていて、
お客様のように大事に扱ってくれる。

里の親は、まるでお浄土の親さまのような存在ではなかったのかと思います。

私の苦しみはちゃんと分かってくれている、里の母親。
阿弥陀さまのイメージはそうしたイメージにダブっていたのではないかと、
思います。


何でも自由で、若者の思いどおりになる現代では、理解できない喜びの
世界だと思います。自分のことを無条件で言わず受け入れてくれる母の存在と。


その里の親と会うことで安心感と、勇気を得て、また急いで嫁ぎ先へ、
現実の世界へ帰っていく若いお嫁さん。


阿弥陀様のお話しと、里の温かさは、多くの人びとがイメージすることが
出来ていた時代だったろうと、思います。


何の心配もいらない、そのままでいい、一生懸命努力しているお前のことは
ちゃんと分かっているよ。
大丈夫だよ、思いのまま頑張りなさいという呼び声が聞こえてきたのでは
ないかと思います。


南無阿弥陀仏は、親さま、お母さん、私も頑張りますよという娘の思いをも
乗せて、南無阿弥陀仏と響いていたのではないかと思います。


妙念寺電話サービスお電話ありがとうございました。
次回は、11月24日に新しい内容に変わります。