第675回 大きな力
平成17年 12月29日〜
妙念寺電話サービスお電話ありがとうございます。
こんな歌を知りました。
坂村真民さんの歌です。
見えない根たちの
ねがいがこもって
あのような
美しい花となるのだ
という詩歌です。
私たちの目は、表面しか見ていません。
花を見ても美しいもの、匂うもの、周りと変わったものなど、その表面のほんの一部
しか見ていません。
室内に飾る時でも、ハサミで長さを調節し、水にさえ付ければ大丈夫と思っています。
しかし、よく考えてみるとその美しい花を咲かせるためには、地中に伸びた多くの根が、
水分や栄養分を吸収し、そのお蔭で、茎も葉も成長し、やがて花を咲かすことが出来のだと。
そう言われれば、そのとおりです。
それに気づいていないのが私たちです。
そのように考えてくると、この私も、今ここにこうしていることは、当たり前であると思って
いますが、よくよく考えると、そうではないと気づきます。
育ててくれた親やそれを引き継いだ家族の力も大きかったのです。
また、人間の力だけではなく、その命を投げ出して、この私の命を保ってくれている
多くの生き物たち、動物も植物も、空気も水も土も、太陽も月も星も、ありとあらゆる
ものの力によってこの私は、ここに生きていることが出来ているのです。
しかし、そのことに気づかないで、何事も当たり前になって、自分一人で生きている
つもりになっています。
南无阿弥陀仏を口にし、お聴聞の生活を続けてみると、それが少しずつ気づき、
感じられるようになってくるもの。
この私を生かすために休みなく、頼まれもしないのに、見返りも求めずに、一生懸命に
働いていただく力、それらを総称して仏さまというのだと、味わえます。
そして、親鸞聖人は、この私もやがて仏になると。
すべての人のために黙々と働く仏になると。
その働きは、いま私にはほんの少ししか分かりません。
しかし、この私が生きがいを持って、喜びの内に生きていくことが出来るのも、
私の子供や孫が、充実した人生が得られるのも、この仏さまの働きであると。
親として祖父としては、生きている間は、万全なことはできません。
しかしやがて命終わって、仏となった暁には、徹底して、すべての人を救うことが
できるようになるのだと、教えて頂きました。
南无阿弥陀仏は、私が気づかずにいる、大きな力を知らせていただき、気づかせて
いただき、喜びと生きがいと豊かさを与えてくださるものなのです。
南无阿弥陀仏と口にするとき、その働きの一つでも、二つでも味わうことの出来る
生活は、何にも増して幸せな人生だと思います
気づいてみれば、私ほど幸せなものはないのだと、喜べるものです。
気づくか気づかないかで、その一生は大きく違うのだと思います。
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次回は、1月5日に新しい内容に変わります。