第676回 味わえる人生

 平成18年 1月 4日〜

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お釈迦さまが説かれたのが仏教です。
ですから、その教えは、みな同じものであると考えて、近くの誰かに
聞いたことが正しいと思い込んで、疑わずに信じておいでの方が
多いものです。


ところが、お釈迦さまが説かれた教えという共通点はあるものの、考え方が
非常に幅広いものです。


礼拝の対象であるご本尊一つをとっても、多種多様です。
一般の常識では、お釈迦さまだと思っておいでの方が多いものの、
浄土真宗では阿弥陀如来さまを本尊としています。


お釈迦さまが詳しく説いて頂いた、阿弥陀如来さまをご本尊としているのです。

そして、もっとも大事にする法要である、報恩講もお釈迦さまの命日ではなく、
親鸞聖人のご命日に行います。


この報恩講も、旧暦の11月28日にお勤めするところと、新暦に直した
1月16日にお勤めするところと、違いがあります。



 どうして親鸞聖人の御恩を最も大事にするのか、それはお釈迦さまが
説かれたお念仏の教えを、この私に正しく伝えて頂いた方だからです。

親鸞聖人がご苦労いただけなかったら、今頃私たちは、方位や日の善し悪しや、
祟りなどが怖くて、落ち着きのない毎日を送っていることでしょう。


あれをしなければいけない、これをしてはならないと、脅されて、恐怖心から
心休まることのない毎日であったことでしょう。


親鸞聖人が、お念仏の働きで、すべての人が救われ、やがてお浄土で
悟りをひらき、阿弥陀如来さまと同じようにすべての人のために働くことが
出来るのだと。


そしてすでに今、仏様の仲間であると、教えていただけなければ、将来が不安で、
どうしていいのか分からず、脅える毎日だったと思います。


何の心配もしなくていい、自分が出来ること、いま自分がすべきことを、
お念仏と共に精一杯することだけで大丈夫だと、教えていただいたそのお蔭で、
やすらかに、喜び多い生活をさせていただいているのだと思います。


そのことを知らせるために、伝えるためにご苦労頂いた多くの方々、しかし、
私たちがその方々のご苦労がなかなかわかりません。



 有り難いことに、親鸞聖人のご苦労は、御伝鈔や伝絵で、またおまとめ頂いた
多くの聖典で味わうことが出来るものです。


親鸞聖人のご苦労を繰り返し繰り返し聞かせて頂くことで、この私のために、
ご苦労いただいたことが、少しずつ味わえてくるものです。


それが味わえるようになると、私の近くでこの私のために、ご苦労いただいた
多くの人びとのことも、少しずつ感じられてくるようになるものです。


気づいてみると、味わわせていただくと、この私ほど多くの人びとのご苦労で、
今日があり、これからも生かさせていただけるのだと、そのことが味わえるように
なったとき、私の人生は輝き鮮やかに蘇ってくるのだと思います。


その多くのご苦労への報恩の気持ちを、南无阿弥陀仏と口で表すことで、
変わってくるものです。


同じ人生なら、味わい深い人生を、お念仏とともに、深く広く味わわせて
いただきたいと思います。


気づかせていただき、いまここで、老にも病気にも死をも恐れない、
素晴らしい人生を送らせていただいていることを、心ゆくまで喜び、
味わわせていただきたいものです。


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次回は、1月12日に新しい内容に変わります。