第679回 世間の人々は

 平成18年 1月 26日〜

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ところで 浄土三部経の一つ 「仏説無量寿経」の中に このように説かれている
部分があります。


 「世間の人々は善い行いをしようとせず、互いに次々と人をそそのかして、
  さまざまな悪を犯している。

  二枚舌を使い、人の悪口をいい、嘘をつき、言葉を飾りへつらって、
  人を傷つけ争いを起すのである。

  あるいは善人をねたみ賢いものをおとしめて、自分は陰にまわっ
  喜んでいる。
  また両親に孝行をせず、恩師や先輩を軽んじ、友人に信用なく、
  何ごとにも誠実さを欠いている。

   しかも自分自身は尊大に構えて、自分ひとりが正しいと思い、むやみに
  威張って人を侮り、自分の誤りを知らずに、悪を犯して恥じることがない。

  また自分の力を誇って、人が敬い恐れることを望むというありさまである。

  このような人々は天地の神々や太陽や月に知られることを恐れず

  教え導いても善い行いをせず、まったく手の施しようがない。
  自身は横着を決めこんで、いつまでもそうしていられると思い、
  将来を憂えることなどなく、いつも傲慢な心をいだいているのである。
・・・・・・・・・」

このように 大無量寿経の下巻に 説かれています。

TVや新聞を、毎日賑わわせていることが そのまま説かれているようにも
思います。

これを聞いて 世間は 間違っていると 大声で叫びたくなりますが

お念仏の人は この私のことを 説いていただいているのだと 受け取ることが
出来るようになるのです。


人間はどうしても 自分を棚にあげて 他人ばかりを批判しています。

しかし、お経に説かれている内容は 他人ごとではなく この私そのものを 
知らせていただくために 多くの人が ご苦労いただいているのだと
味わわせていただくことが 出来るようになるのが 仏さまの働です。


お念仏は 鏡に自分の姿を写すように この私の姿を知らせていただく 
働きがあるのです。

新聞を見るにつけ テレビやラジオを見聞きするにつけ この私の 真実の姿を
知らせるために 仏さまが働いていただいているのだと 味わえたとき 
私の生き方 私の人生は 大きく 変わってくるものです。

 世間の人のこと 他人ごとだと思っている限り 自分自身の姿を 性質を
行いを 知ることが 出来ません。

世間で起こるすべてを 自分の この私の実態を知らせていただいていると 
味わうことが 出来るのは お念仏の働であり 仏さまの働であるのです。

 妙念寺電話サービス お電話ありがとう ございました。
 次回は 2月2日に新しい内容に変わります。

     浄土三部経 現代語訳 大経 122ページ より