第683回 真実ということ

 平成18年 2月 23日〜

妙念寺電話サービスお電話ありがとうございます。
毎月一回 宗報というご本山から届く 月刊の雑誌があります。
その巻頭の言葉に 「真実ということ」 という 梯實圓和上の
文章が掲載されていました。その文章をご紹介します。

 親鸞聖人は「涅槃経」によって「真実といふはすなわちこれ如来なり。
 如来はすなわちこれ真実なり」といわれています。
 これは決して同語反復ではなくて、真実とは如来の生き方のことであり、
 如来の生き方の他に真実はないと言い切られた言葉です。
 聖人が生涯をかけて確かめられたことはこの一点でした。
 
  その真実の有様を具体的に説かれているのが『大経』の法蔵菩薩の
 本願であり、修行成就のすがただったのです。
 そこには一切の衆生の苦しみをご自身のこととして引き受け、まことの
 安らぎを 一切の衆生に恵み与えていこうと願われた大智・大悲の活動が
 詳細に説き示されていました。

  これによって、苦難は人に押しつけても自分だけは幸せになりたいと
 願っている 私どもの自己中心的な生き方が、どんなに浅ましいもので
 あるかを思い知らされます。
 
 「苦難は私が引き受けるから、あなた方はまことの幸せを得てください」と
 願っていくのが、まことの生き方であると受け容れることを”仏法を聞く”
 というのです。

 「そんなことは凡夫にはできません」とか「凡夫だから仕方がない」というのは、
 真実を受け容れようとしない逃げ口上です。真実の生き方ができないことは、
 恥ずかしいことであり、申し訳ないことであり、悲しいことであると
 受け容れるべきでは ないでしょうか。

  その時はじめて法蔵菩薩の願心の尊さが身に沁みてきます。

  勧学の梯實圓さんの文章をご紹介しました。

 妙念寺電話サービスお電話ありがとうございました。
 次回は 3月2日に新しい内容に変わります。
                      平成18年2月号 宗報 聞思録 より