第718回 無関心 は 無責任

 
平成18年 10月 26日〜

妙念寺電話サービスお電話ありがとうございます。

勝ち組、負け組とか。 再チャレンジとか、いじめだ 虐待だとか、
気になる言葉が氾濫しています


力あるものは弱いもの思い、これを助けるというのは、人間の持っている
素晴らしい素質と思っていましたが、どうもそうではないようにも思われます。


人間は本来、自己中心であり、他の人のことなど気が回らずに、
生きているようです。


自分には関係ないことだと、弱い立場の人が苦しんでいても、見過ごしてしまうか、
気づいても、ここで弱いものの味方をすると、自分までも一緒に不利益になると、
無関心を装って、力あるものへ加担することで、生き延びようとすることが多いようです。



  大河ドラマを見て、関が原の戦い前夜、主君であった豊臣に付くべきか、
将来を考えて力ある徳川側に付くべきか、苦悩する主人公の姿を見ましたが、
現実の私たちの日常の中でも、権力側に付いた方が有利であろうと、選挙のたびに
全力投球なさる宗教団体が、その組織力を十分に発揮され、日本の方向性を
決めつつあるようにも思えます。



 仏教は、本来すべての人が本当の幸せになることを願って、仏の願いに生きる道を
説くものあると思います。


しかし、現実世界では、この世の中を変えていかなければ、幸せにならないと
感じるのももっともなことでしょう。


そういう意味では、政治に参加することは素晴らしいことですが、権力をもつ仲間の
側について、本当に困っている、弱い立場の人のことが見えなくなってしまうことの怖さや、
環境さえ変われば、幸せであるとの、世俗的な思いが、先行してしまわないかとの
疑問を感じます。


 問題なのは、自分は社会とは関わりたくない、自分は自分の仕事だけをしておれば
大丈夫と、決め込んで折角の権利を放棄して、何にも行動におこさない人が多いことが、
何よりの問題であろうと思います。


 自己中心で、何事にも関心を持たない、大衆が無責任であるために、
権力を持ち続ける人達と、組織を持つ一部の人たちが、世論を形成し、
自分たちに都合の良いように、政治をして、弱い立場の多くの人のことを忘れて
いるのではないかと思えてなりません。 


無関心であることの弊害は、政治の世界だけではなく、お寺のことでも言えます。

自分とは関係ないことと、毎日毎日目先のことに没頭して、本当に必要なこと、
重要なことを忘れている人が、余りにも多いことが残念でなりません。


先輩たちは、自分の子どもや孫が可愛いばかりにお寺を作りそれを維持し、
人間らしく力強く生きる道を伝えようとしたであろうに、その教えに出合うこともなく、
迷いの苦しい生活を続けておいでの方が多いことを、誠に残念に思うものです。


ここでもまた、無関心であることこそ、最も大きな罪なのではないかと感じてなりません。

前の世代が、気づかず出合えないために、次の世代が、喜びを獲得する機会が
少ないことは、まことに悲しく残念でなりません。


どうか、お念仏に出合って、自分だけではなく次の世代も、本当の喜びを
受け取ってくださるように、心していただきたいと思います。期待したいものです。


今年の秋の法座は、11月、18日19日に予定しています。

どうぞ、皆勤できるよう、そのつもりで、仕事に励んでいただきたいと思います。

妙念寺電話サービスお電話ありがとうございました。
次回は、11月2日に新しい内容にかわります。