第732回 闇を破る

 
平成19年 2月 1日〜

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親鸞聖人がまとめていただいた教行信証の行巻に、つぎのような
言葉があります。


 しかれば名を称するに、よく衆生の一切の無明を破し、よく衆生の
一切の志願を満てたまふ。


    [現代語訳] こうゆうわけで、ただ名号を称えるところに、
    衆生のすべての無明を破り、衆生のすべての願いを、満たして
    くださるのである。


  無明とは、真理に暗く、もののあるがままのありようを明らかに理解できない
という、最も根本的な煩悩。迷いの根源です。



 仏教は、因果の道理が説かれます。自分の行いの結果は、自分で
受け取らねばならない「自因自果(自業自得)」の教えです。


ところが、一般に宗教といえば、他を頼みにするものと思われているようです。

特に浄土真宗は、自力ではなく他力の教えと聞けば、自分では努力もしないのに、
ただひたすら仏を頼むという、「他因自果」であるように、誤解されているようです。


しかし、「親鸞聖人は、如来大悲の恩徳は、身を粉にしても報ずべし」という
厳しい生き方をされた方ですから、他の力だけに頼るという、他因自果では
決してありません。


ただ自因自果と思っても、私たちの行為や努力、真面目さは あまり当てには
なりません。とても傷つきやすく、期待どおりの結果が出なかったり、周りと
比較して、すぐに挫折する、もろさを持っています。



 神奈川県の福祉協会が作った、ボランティアという四コマ漫画に、
@自分は人のために役立ちたいと決心、
A在宅ケアを受ける人のところに行って呼び鈴を押す。
B室内から何も反応がない。せっかく来たのに留守にしてと怒って帰る。
C家の中では、お年寄りが、動けないのに、どう返事すればいいんだと、
 寝ながら言っている。・・・


また、@身体の不自由な人の役に立ちたいと福祉施設を訪ねた人がいる。
A施設の先生は、「そこの落ち葉を拾ってください」。
Bそれを聞いて、「自分はもっと人に役立つことをしたいのに」と不満な顔をする。
C目の不自由な人にとっては、お掃除が最も大変な仕事なのに、もっと直接
役に立ちたい、目立ちたいと不満である。


 人間のこうした盲点を無明といい、真実の鏡が見いだされることで初めて、
今まで気づかなかった自分が写し出されるのです。


もっと目立つこと、もっと役に立ちたいと思う心が、あさましく、名利心に
満ちたものであったことに気づかされ、真実の自分に出あうことになるのです。


お聴聞を繰り返し、お念仏を称える生活で、人間のうつろいやすい志願、
行為であった自因が、如来廻向の信心の自因へと変えられていくのです。
毎日の生活の根本が、自己中心から、廻向の信心に置き換えられていくことで、
大きく転換され、新たな道が開かれてくるのです。


仏教は、自得の教えではなく、廻心のための教え、無明を破り、真実の自分が
知らされる教えなのです。


妙念寺電話サービスお電話ありがとうございました。
次回は、2月8日に新しい内容に変わります。