第736回 仏に成る

 
平成19年 3月 1日 〜

妙念寺電話サービス お電話ありがとうございます。

テレビで将棋の番組をやっていました。
ふと子供の頃に、親戚にとても強い子供がいて、赤子の手をひねるように
徹底的に負かされた苦い思い出や、山形県天童市に仕事でいって、
記念に貰った手彫りのあの駒は、今どこに置いているのだろうかなどと
考えていました。


将棋の駒には、それぞれの能力があり、真っすぐに進むことしか出来ないもの、
斜めしか行けないもの、進んでも左右どちらか一つ横に飛ぶ桂馬など、
さまざまな働きがありますが、その多くは、後ろには戻れないものが多いようです。


 しかし、進んで進んで突き当たる三つ手前の相手の陣内に入ると、
途端に能力が増して、後ろにも横にも斜めにも、金将と同じような働きが出来る
「成る」があることを思い出しました。


 この将棋のルールは、ことによると仏教思想を広めようと、僧侶の方が
考え出したのではないかと漠然と考えてみました。


仏教は成仏の教えといっても、仏に成ることの意味合いがもう一つはっきりしません。

同じ成るでも、赤ちゃんが出来て母親に成ると、途端に赤ちゃんの世話をする
親に成り、今までは、自分中心であったお嬢さんが、子供中心に行動する母親に成る。
子供のために生きる生活が始まるのです。


宮崎県で新しい知事さんが誕生して、活躍していますが、一人のタレントが
知事に成ると県民全体のために働く人に成り、今話題になっています。


 仏に成るということを、働きとしてみると、どうなるのでしょうか。

小さな能力しかなかったものが、お浄土に誕生すると同時に、多くの力を得て、
自由奔放に活躍することが出来る能力を得るのだと、
大経に説かれる四十八願には、どこにでも自由に行ける、神足通などの六神通や、
この世に還って働く、還相廻向など超能力的な力を得られると説かれています。


将棋では、相手と戦うことがその能力ですが、仏になるとは、仏の働きをすること。

それはすべての人が本当の人間となり、その能力を十分に発揮出来るように導き、
やがてお浄土に生まれさせ、仏と成して、今度はすべての人を救うために
働く側に転換させることです。


将棋のルールで、割り切れないのは、駒を取られると、今までの仲間を裏切り、
攻めてくることです。


ところが、これを、自己本位の悪人が、阿弥陀如来を相手に抵抗し、
戦っている姿であると味わってみると、話は大きく違ってきます。


私が奪い取られることは、阿弥陀如来の仲間となり働き始める立場になることです。

煩悩具足の私は勝った負けた、損だ得だと我がままな毎日を送っていますが、
先だった親や兄弟や、祖父母、数知れない多くの先輩たちが、お浄土へ生まれ
仏と成り一生懸命に働きかけて下さっているのに、それに反抗し
 
戦いを挑んでいるのだと考えると、

将棋のルールは、誠に有り難い「往生浄土」や「成仏」「還相廻向」を
理解させる為の教材ではないかと思えてきます。                     


  安楽浄土にいたるひと  五濁悪世にかへりては

    釈迦牟尼仏のごとくにて 利益衆生はきはもなし

  とのご和讚や、御文章 「しんらんさま」 の歌が
とても有り難く味わいを増してくるように思えます。


妙念寺電話サービスお電話ありがとうございました。
次回は、3月8日に新しい内容に変わります。


         


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