第739回 広大なる智慧

 
平成19年3月22日〜

妙念寺電話サービスお電話ありがとうございます。

小川一乗さんの本を、勧めていただき読ませて頂く中で、
こんなところがありました。

 いま日本における命の行方は、大変な危機にさらされています。
しかし私たちの命とはいったい何なのでしょうか。

この命の問題についてきちんとした問いかけをしてくださっているのが釈尊です。


寺にお参りされて法話を聞くと、「ご縁によって生かされている」ということを
聞かれるとおもいます。

私たちはご縁によって生かされているということを、人類で一番最初に
説かれたのが釈尊です。


二千五百年前のインドで、命はこの世界を支配している神に支配されているから、
その神に願って幸せな生まれに生まれ変わることを願っていた時代にあって、
釈尊は 「そうではない、人間はガンジス河の砂の数を超えるほどのご縁によって、
吐く息吸う息、すなわちこの命をいただいているのだ。そのことに目覚めよ」 と
人類最初に言われた


親鸞聖人はその釈尊の教えをいただいておられるわけです。
このような教えはほかの宗教にはありません。
仏教だけです。


 ガンジス河の砂の数を超えるほどのご縁によって生かされているというのは、
大変なことです。


ガンジス河の砂の数など、数えきることはできません。
でもガンジス河の砂といえども限りがありますから、本当ならば数えられるはずです。
必ず限りがある。
有限なんです。しかし人間の知識ではそれを数え尽くすことができませんと頭が下がった、
これが不可思議ということなんです。


不可思議ということは、理屈はわかっているが、その理屈をこの私の知識では
尽くすことができません。
間に合いませんといって、私の知識の頭が下がった世界が不可思議です。

最初からわけのわからないことを不可思議と言うのではありません。
南無不可思議光、わけのわからない光りに南無(帰命)します。
そんなことではないのです。


南無不可思議光というのは、私の知識を打ち破ってはたらく広大なる智慧に
私は従いますということで、それが南無不可思議光ということです。


という文章です。       


 私の知識を打ち破ってはたらく広大なる智慧に私は従いますということ、
それが南無不可思議光、であり。南无阿弥陀仏なのです。


妙念寺電話サービスお電話ありがとうございました。
次回は、3月29日に新しい内容に変わります。


         平等のいのちを生きる 法蔵館発行
                現代のいのちの課題より。


         


           私も一言(伝言板)