第748回 わがまま坊や

 
平成19年 5月24日〜

妙念寺電話サービスお電話ありがとうございます。

近頃 こんなことを思っています。
仏さまとは 衆生救済を 第一とする働きをされる方、
悩み苦しむものを 見過ごすことができず 我を忘れて
働きづめに働き続けるお方。

昔は 仏さま 阿弥陀さまのことを 真宗の門徒は おやさま おやさまと
呼んでいたと いいます。

妙好人の因幡の源左さんも 父親が病気で亡くなる前に
自分が死んだら 「親様をたのめ」と 言い残されたといいます。

その親様が分からず 源左さんは お聴聞を重ねに重ねました。
親というイメージは 現代と違って 子どもや連れ合いや 家族全員のことを
自分のことよりも 大事に思う人。

相手のことを先に 考えて 尽くしてくれるという感じがあり、

仏さまの働きと 共通するところが 親の働きには あったのだろうと
思います。

その仏さまの 働きや ご苦労の様子を 繰り返し 繰り返し 聞かせて
いただくと、 自分は 人並に まともだと思っていたものの 
どうも まだまだ 子どもと同じで、自分のことを第一に考えている
自己中心であるということに 気づかされていったのだろうと思います。

自分は もう子供ではなく 大人なのに 幼い子供が駄々をこねるのと
同じように、自分のことしか考えていない、いや 自分が一番かわいいことを 
思い知らせれ、これでは お恥ずかしいことだと、わが身の浅ましいことに
気付づかされていったのだろうと思います。


自分のことより 周りのためにという 昔の親たちと  現代の親たちとは、
どこがどう違うのかといえば、仏さまの働きを人間の理想としていた昔と

我儘な一人子のように、自己本位の、自己中心の 何でも自分の思い通りに
なることを 自分の欲望が満たされることを理想として それを目標にして 


いい点数を取り、他人を追い越し、出し抜くように努力させてやることこそが
 親の務めと思っているところが、大きく違っているようです。


子供たちの遊ぶ姿を見ると 自分のものも 他人のものも みんな自分の
玩具のように 独占して わめき散らす我ままな子供がいますが。
どうも 私たちは、そうした姿こそが理想であると 子供たちに教育したように
思えてなりません。


本当の幸せは 人間としての喜びは 何なのか その確かな目標を
教え伝えていくことこそ、現代 最も大事なことではないかと、
思えてなりません。

それを 確かに思い出させ 味わわせる言葉が 阿弥陀如来を褒め称え
その阿弥陀仏のようになりたい、阿弥陀さまが理想です。

貴方みたいになりたいという言葉、南無阿弥陀仏だろうと、

味わっています。

妙念寺電話サービスお電話ありがとうございました。
次回は、5月31日に新しい内容に変わります。

         


           私も一言(伝言板)