第749回 應報大悲弘誓恩

平成19年 5月31日〜

妙念寺電話サービスお電話ありがとうございました。

2007年ということは、昭和も82年になったということでしょう。
戦争を経験した人達が段々と少なくなっていきます。
丸眼鏡の印象が強い、お隣の光明寺さんが、先週日曜日に亡くなられました。

その日は、私共のお寺で、佐賀組の教化団体の役員が集まって話し合う、
研修協議会の日でしたが、その日に往生の素懐を遂げられました。

88歳でした。

馬で引く大砲の部隊だったようで、磯村さんという連隊長だったと、NHKのTVに
出ていた磯村さんを見ては、何度も何度も思い出しておしゃっていました。


お互いのお寺の法事や、葬儀はお取り次ぎする間柄で、こちらにおいでの時には、
いつも、明るい笑い声が、最初から最後まで続き、坊守や親戚の女性陣に
大変人気がありました。


夜の街によく出掛けておいでで、飲食店に近い私どもの近所は、殆ど分かると、
そこに住んでいる私共よりも、事情通でした。


 今から思い返すと、保護司を長い間、勤めておいででしたので、就職のお世話や、
担当の人との面談を、夜の時間にやっておいでではなかったかと、思い返しています。


昭和40年代、組長さんの時には、若い方にも、もっと親しみをもってもらわねばと、
親鸞さまのイベントを願正寺さんで盛大に行い、お祭りのようににぎわったと、
言われています。


佐賀市城内に、横尾雄一さんが、ご自分の土地、建物を提供され、それを
どう活用するかを、検討するときの組長さんでもあったといいます。

佐賀の民謡、うめぼしは、先代のご住職が作詞されたもののようで、その梅干しの会や、
地域の自治会など、幅広くお世話もされた方でした。


お名前を、弘誓とおっしゃり、院号は、ご自分も願っておられた、大悲院と受けられました。

如来大悲の恩徳は、身をこにしても報ずべしと、恩徳讃を口にするとき、
また、正信偈で、應報大悲弘誓恩に出会ったとき、今は仏さまとなって働きかけて
いただいており、楽をしようと思ってはいかん、損得を考えたり、勝った負けたと、
自己本位になりがちな私たちに、報恩の思いで行動しろと呼びかけて
いただいているのではないかと、お念仏とともに味わっていきたいと思います。


妙念寺電話サービスお電話ありがとうございました。
次回は、6月7日に新しい内容に変わります。

         


           私も一言(伝言板)