第752回 その名を聞くと

 平成19年 6月21日〜

妙念寺電話サービスお電話ありがとうございます。
毎月「真宗の勉強会」のたびに 思います。
一番前に座ってお聴聞していただく 98歳の男性の方のことです。

若い時 海軍の軍人さんだったと聞きますが 背筋を伸ばして じっと
聴き耳を立てておられます。
両耳に補聴器をされており、ことによると全部は聞こえていないのかも
しれませんが、それでもちゃんと座ってお念仏くださり、最後まで
お聞きいただいた有り難い光景です。

お名前に 宗教の「宗」という一字が入っており子供さんの時から、
その宗の字のこと、宗教ということを意識されていたのではないかとも

思いますし 戦争中乗っていた船が撃沈されるなど、何度も苦難に
遇われた経験から、深く南無阿弥陀仏を味わっておいでなのではないかと 
感じています。

 私ども浄土真宗の宗祖は 親鸞聖人です。
お師匠さまの法然上人が 付けていただいたお名前で、天親菩薩の親と、
曇鸞大師の鸞の字を 一字づついただかれたのだろうと聞かされていました。

しかし、素直にみると 親鸞とは 親の鸞であり、鸞とは鳳凰などと同じく
空想の鳥だと言われます。


平和な時に現れるといわれ お浄土に住む鳥ではないかと思われ、法を説く
ために,この世に現れてくださるのではないかと思います。


その親ということを あるいは 鸞ということを、親鸞聖人ご自身も
いろいろとお考えになったのではないかと、思えてなりません。

ただの鸞ではなく 親の鸞とは 何を意味しているのか。

仏様のことを 親様といいますが、信心深かった昔の方は、報恩講の時など 
親様、親様とは 親鸞聖人の親も 意味していたのではないかと、思えて
なりません。


そして、親というものは 自分のことよりも 子どものことや 自分の
年老いた親や 兄弟や地域の多くの方々のことを 自分のこと以上に考えて
生活する人というイメージがあります。


そして 次の世代のことを その将来まで考えて いろいろと心配りする人
でもあると思います。


それに比べて この私は いくつになっても いい年をしておりながら、
わがまま坊やのように 自己中心で自分さえよければいいと、出来るだけ
楽をしたいと、やるべきこともやらないで、逃げ回って 自分勝手な生活を
していることを反省させられます。


親様と聞く時に いまでも自分のことしか考えていない子供のままの 
自分に気付かせていただき、見つめ直すご縁を与えていただいているように

思えます。

「南無阿弥陀仏」と口にし 耳に聞く時は 五劫が間思惟し、永劫の修行を
されて 全ての人を救わずにはおかないとご苦労いただいた、法蔵菩薩のことを、
そして自分の親たちのことを、親鸞聖人のことを 思い出させていただきたい
ものです。


名は人を表すといいますが、親様、親鸞聖人のご苦労をほんの少しでも
味わわせていただきたいものです。


如来の大悲の恩徳を 報じさせていただきたいものです。

妙念寺電話サービスお電話ありがとうございました。
次回は、6月27日に新しい内容に変わります。

         


           私も一言(伝言板)