第769回 生きている 今が

 平成19年 10月 18日〜

妙念寺電話サービスお電話ありがとうございました。

インタネットの書き込みに キリスト教の洗礼を受けようと思っているが そうすると 
自分の家の浄土真宗の墓には 入ることができないのですかとの
 お尋ねがありました。
ご主人の両親とトラブルを起こしたくない、今はだまっておきたいとのことのようです。
しかし 将来は家のお墓に入りたいが お寺から断られますかとの 質問です。



それに対して次のような 返事を書きました。

書き込み ありがとうございました。

もう15年程前 一人娘さんだった方が キリスト教に変わられ 境内地にある墓地を
取りこわされた時のことを 思い出しています。

この方は 学生時代にキリスト教に入信されたとのことでしたが、ちゃんとお取次ぎするべき
立場の住職は
 その方に 何も教えをお伝えすることが出来ないままに 去られたことが 
とても悲しくて
 辛かったことを思い出しています。

この方は 車で一時間半ほど離れた 別の県に定住され そういう意味ではお寺の法座に 
残念ながら ご縁がなかったのですが、ご先祖は 自分の子供や孫のことを思い、

この念仏の み教えを伝えたかったであろうに それを頼まれていた住職としては 
本当に申し訳ないことをしたと落ち込んでしまいました。

 キリスト教は 毎日曜日に教会においでになり、その教えの内容にふれることが出来るもの、
そして、いま洗礼を受けようかと思っておいでのことだろうと思います。


この浄土真宗も ほんの少し前までは ご年配だけではなく、若い方も定期的な法座につき 
その教えを聞き 味わい この人生を有意義に過ごす手立てを 受け取っておいでだったと思います。


ところが 現在は その法座へ参列くださる方が少数派になり、お寺は法要儀礼の場と
理解されてしまったようです。

しかし、お寺は お念仏の教えは 命終わったあと、死んでからのことを説くのではなく、
生きているこの私のために説かれた教えです。


お葬式や法要は 教えに出会うご縁を作っていただくものであり、他人ごとではなく
私のための教えです。

おっしゃるように 信仰の自由ですから ご自分が一番いいと思う方向へ進まれるべきでしょうが、
先祖や父母が最も期待し喜ぶ方向は 何かといえば、 この私がこの人生をより豊かに

有意義に過ごすことだろうと思います。

 お念仏の教えは どの宗教よりも もっとも 人間らしい道を歩むことが
できるようになるものだと 味わっています。

近頃 キリスト教の外国人がお念仏の教えに 入信なさる方が多いのも この私が やがては
他の人を救うことの出来る 仏に なることができることだと思います。


そして 仏となって すべての人を救う働きができることです。
これは 何を意味しているのでしょうか、何を説こうとしているのでしょうか。
そしてそれが理解しはじめると、私の生き方が転じられていくのです。

そのことを ちゃんと知っていただいた その後で 方向を決めていただければ
ありがたいことだと思います。・・・・・・・・・・

という 返事です。


しかし どうも ご縁がないようで、再度お墓のことだけをお尋ねになり、
音信はとだえました。

せっかくのご縁だったのにと 少々残念な 思いです。

そして つくづく感じました。
お念仏の出遇えるということは 大変に 不思議なこと なかなか出遇えないものだと
それに今 出遇っていることを ありがたく 思っています。

妙念寺 電話サービス 次回は 10月25日に新しい内容に変わります。


         


           私も一言(伝言板)