第770回 知らされた時

 平成19年 10月25日〜

妙念寺電話サービスお電話ありがとうございました。

こんな話を聞きました。

近くに 癌で悩む患者がいても、定期健診の案内を受けても 自分は癌とは関係ないと思っています
ところが ある日 医者に「まことに言いにくいが あなたは癌ですと 告げられると、その日から 
癌患者になる」。


自分とはまったく関係ない 他人ごとと思っていたのに ひとたび癌を告げられるとその日から
 他人事ではなく 病気は自分のものとなるのです。


同じように 罪悪深重の凡夫と聞いても それは自分のことではない。
救いの目当ては 悪人だといわれても 悪人はあの人のこと テレビで見たあの事件の犯人と、
自分とはまったく関係ないと 思い込んでいるのが どうも 私たちのようです。


阿弥陀様の呼びかけが、他人のためではなく、この私のためであったと うなずけたことを 
信心をいただいたと 言えるのではないかという話です。


 親鸞聖人は 「五劫の思惟も兆載の修行も、ただ親鸞一人がためなり」と
  おしゃっていたとあります

阿弥陀様の救いの目当ては 他人のためではなく この自分のためだったといううなずきです。

忙しい忙しいと真実から目をそらし、自分は大丈夫、病気にもならないし、悪人でもなくこのまま元気で
いつまでも生きていれると 思い込んで毎日を送っていますが、いったん自分が癌であると告げられると 
私の人生は大きく変わってくるのによく似ていると思います。


そして 癌だと知った時、治った人を沢山知っていても 自分はどうなのか 良くなるのか
段々と悪くなるのか、心配で心はそのことでいっぱいになり、 暗い毎日を送ってしまう人も
多いと思います。


中には 限られた人生 それが 3ヶ月か3年か 残された人生を精いっぱいに生きようと 
病気の治療をしながらも、一日一日を精いっぱい生きる生き方ができる人もあります。


癌になっていなくても 私たちの命には限りがあるものです。

ただどれくらい残っているかが 分からず気付かずにいるだけです。
それが 医者に余命を告げられて はじめて 限られた命に気付くのです。


お念仏に出遇うことでも、気付かされるのです。

阿弥陀様の呼びかけが 救いの目当てがこの私であったと、気付いた人は、限りあるこの人生を
どう生きるのかを真剣に考えはじめるのだと思います。


自分の好きなことを、自分の楽しみだけを追い求めるのではなく、阿弥陀様の働きのこと 
先だった先輩たちが阿弥陀様と一緒に、お念仏の教えを勧めていただいていることを 味わい 
今私が出来ることは何かと、夢中になって 楽しみながら、喜びながらの新たな人生が、
スタートするのです。


癌の宣告をされた人と同じように お念仏に出遇った人は、限られた命をいただいて 今生きている、
そして 何がやれるのか それぞれに自分の能力を見極めながら 南无阿弥陀仏とともに 生きることが
できるように転じられてくるのです。


ただ自己中心の満足ではなく、阿弥陀様の願いに叶った生き方が知らされてくるのです。

人間として生きてきた意味と 命に限りがあることの意味を味わいながら。

妙念寺電話サービスお電話いただき誠にありがとうございました。

次回は、11月1日に新しい内容に変わります。

         


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