第778回 明日が

 
平成19年 12月 20日〜

 妙念寺電話サービス お電話ありがとうございました。

お勤めの途中 ふと こんなことを 考えました。 
明日 楽しいことがあると 今日から嬉しいもの
明日 嫌なことが あると 今日から 辛いもの

お浄土のお話を聞き 信じている人には 明日がある。しかし
この世しか 信じられない人には 待っているのは この世の終着点。

やがて 老い 病気になって 死を 迎え すべてが終わり 
消え去ってしまう 寂しさだけです。


お浄土が 信じられる人には 例え命が終わっても それが 終わりではなく
お浄土に生まれて 仏と同じさとりを 開き 活躍できるという
希望があるものです

私たちの日常でも 明日が 楽しいことがあると 今日から楽しいもの
明日 嫌なことがあると 今日からいやなもの。

明日が 分からないと いつも不安で一杯です。
これと 同じように お浄土を もっている人は 病気も老い、 
死を迎えても 恐れることなく、明日がある お浄土がある 不安や迷いを
持つことはなく 先輩たちみんなが 通った道を 私も歩いていく
決して怖くはないのです。

お浄土を 極楽と 受け取っていると 自分の楽しみ 喜び わが身を
喜ばせる所であると 期待していると、不確実な未来は 
あまり楽しいものではないようです。


歳末助け合い運動のPRに 人間の脳を研究しておいでの方が こんな話をして
おられました。

「人間の脳というものは 誰かのために 頑張ると 喜べるように
なっています。私は歳末助け合い運動に 協力します。」
という 内容でした。


自分の楽しみだけではなく 誰かのために 頑張ること 努力すること
このことは もっと喜べるように 人間はできているということです。

ですから 自分のことだけではなく 誰かのために 何かをする
受け取る喜びだけではなく 与えることの喜びを 体験しながら
生きている人は、どんな時でも どんなところでも 喜べるもの
例え いのち終わった後であっても 喜ぶことが出来るのでしょう。

自分が受け取ることでしか喜べない人は この世が終わることは
とても辛いのだと思います。

お念仏の教えは 今も将来も 信じることで 喜べるのが 教えの基本だと 
味あわせていただきました。


「お浄土があって よかったね」 という 先輩たちの言葉が少しは、
うなずけました。
  南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏

妙念寺電話サービス お電話ありがとう ございました。
次回は 12月27日に新しい内容に変わります。

         


           私も一言(伝言板)