第782回 敬いの こころ

 平成20年 1月17日〜

毎月 大阪から「観経」の勉強会の講師としておいでいただく、
行信教校の天岸先生のお念仏 そして礼拝されるその姿は 敬いのこころが 
一杯で なかなか 有難いものです。

ご本尊へ いつもより ゆっくりとお礼をして頭を上げてみても
まだ 先生は 深々とお礼をしておられます。
こうした有難い先生が 若い人たちを 教育していただくことが
本当にありがたく 良いお手本になるだろうと いつも思っています。

仏教は お師匠様を 敬うこと 敬う心が 教えを伝えていくと

聞いたことが あります。

阿弥陀様も 自分だけで さとりを 開かれたのではなく
一人の国王が 法蔵菩薩となって 世自在王仏を 師仏として 
阿弥陀仏となられたのだとお釈迦様は お説きになっていますし、

親鸞聖人は お師匠様の法然上人をこよなく慕われ 尊敬し
お師匠様に出会えたことを、そしてその教えを 伝えていただいたことを
心から喜んでおられます。

高僧和讚の中の 法然上人(源空上人)を讃えられた歌に

曠劫多生のあひだにも 出離の強縁しらざりき

本師源空いまさずは このたびむなしくすぎなまし

と 法然上人に やっとお遇できたということを こころから
喜んでおられます。

また 法蔵菩薩が 世自在王仏を讃えられた 「讃仏偈」には

意訳ですが、

光かがやく師の仏のお顔は この上なく威力にあふれ、
そのかがやかしさは、世に等しいものがない。

日も月も、マニ宝珠も、 およそいかなる光をもってしても
師の仏の光明にあえば おおいかくされて
墨の塊のように光を失なう。 ・・・・と

讃嘆されています。

敬うということは そのお師匠様の素晴らしさ 威力、輝きに
気づくだけの能力がなければ 敬うことができません。

こちら側に 師匠の素晴らしさを理解する力 味わうことの
出来るだけの力がなければ 誉めることも 讃えることも 敬うことも 
出来ないものです。


そういう意味で 現在は 尊敬できるものを 見つけ出せない
悩みの時代だろうと 思います。

しかし あこがれ 敬い 尊敬することが出来る
そうした力を持つことが出来ることこそ 人生の豊かさに つながって
いくのだろうと思います。

目に見える 近くの人間だけではなく 時代を超えて働き続けて
おられる如来さまの働きに気づかせていただくことが、こんな時代だからこそ 
大事なのかもしれません。


そうした目を 能力を身につけると 実は 身近なところにも
ありがたい すばらしい 尊敬できる 敬うことのできる方を
発見できるのかもしれません。

それを 大人たちが形で示していくことが 出来れは

それこそ 次の世代へ最も大切な宝物を 残すことになるとおもいます。

他の力を 知ることは こちら側にその力を理解できる
気づくことの出きる能力がなければ 気づくことが出来ないもの。
分からないものです。

どうか 大人の私たちが 阿弥陀さまを 敬うこころを
もっと形に表して 敬うことの出来る 誉めることの出来る
気づくことの出来る 味わうことの出来る能力の大事さ、
よろこびを 伝えていきたいものです。


「南無阿弥陀仏」は 讃嘆の言葉 どうか 声にだして 味わって
いきたいものです。

妙念寺電話サービスお電話ありがとうございました。
次回は、1月24日に新しい内容に変わります。

         


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