第792回 名号のほかに何が不足 

 
平成20年 3月27日〜

妙念寺電話サービス お電話ありがとうございます。

親鸞聖人750回大遠忌の記念として アニメーションの
「親鸞さま ねがい、そして ひかり」が 完成したとお知らせがあり 
早速 購入しました。


108分の長尺のもので これまでの念仏物語などのアニメの総まとめと
いうべき一作と紹介されています。


 最初 字幕のはいらないもので 通して見ましたが、後になって 字幕や 
せりふ 地名などが 画面上に出てくるものがあり しかも三部構成になって
いることを知り、それで再生しましたら こちらの方が ずっと分かりやすく 
有難く感じました。


日頃 字幕を使った本堂での勉強会に慣れてしまったせいか、アニメーションの
映像だけでは どこか不安で せりふや 知名 役名などの文字が 画面に
出てくると 文字での情報を加えてると 落ち着いて見ることができました。


 ところで そのDVDの解説書に 

 阿弥陀仏の救い(他力本願)
「私としたことが 阿弥陀さまの名号のほかに何が不足というのだ」
   〜佐貫の「浄土三部経」読誦のシーンから〜 という所がありました。

 その解説書の 一部分を紹介させていただきます。


法然さまや親鸞さまは 何を信じて生きられたのでしょうか。
それはひとことで言えば
 阿弥陀さまの願い(本願)でした。
この阿弥陀さまの願いは、私たちを救いとろうという願いで、それを説いて
くださったのが お釈迦さまです。


『仏説無量寿経』によれば 遠い昔、真理に目覚め、深い慈悲の心を持った法蔵菩薩
という方が現れ、苦しみ悩む人々を もらさず救い、まことの幸せを与えようとの願いを
起こされたといいます。
苦悩の人を救うには、苦悩の原因を取り除かねばなりません。その苦悩の元とは
何なのでしょう。


それは私たちが本来持っている自分本位の考え方(愚痴=ぐち)や、
自分に都合のいいものを欲しがる欲(貧欲=とんよく)、
自分に都合の悪いものを憎み怨む心(瞋恚=しんに)であると説かれます。


 ですから、そうした心をなくすことが大事なこととなってきます。
しかし、私たちは、欲や憎しみの心をなくすることなど、とうていできません。
法蔵菩薩は、そのような愚かなものを救う手立てがないかと、長い間、思案されました。
そして、醜い心を決して起こすことのないような、清らかな世界(浄土)を建立し、
そこへ私たちを生まれさせ、身も心も浄化し、智慧と慈悲を完成した仏陀にならせよう、
と願われたのです。


阿弥陀さまの願いは、48の願いから成っていますが、私たちのような愚かなものを
浄土に生まれさせる往生の道を示されたのが、第18番目に誓われている願いです。


そこでは、「どのような愚かな者であっても、必ず浄土に生まれさせるというこの願いを
疑いなく信じて、間違いなく往生できると思って南無阿弥陀仏と私の名をとなえながら
生きなさい。
もし往生できないようであるなら、私は決して仏陀(阿弥陀仏)にはなりません」と
誓われています。


この第18願こそ阿弥陀仏の根本の願いですから、とくに本願とも、選択本願とも
呼ばれています。


法蔵菩薩は、この願いを完成するため、長い間修行され、願い通りに人びとを
浄土に生まれさせる力(はたらき)を完成されたのです。


そのはたらきを、本願力とも他力ともいいます。

その時点で、法蔵菩薩は阿弥陀仏となられたのです。
ですから「阿弥陀仏」という名(名号=みょうごう)は、
「必ず苦悩のものを救う阿弥陀仏」ということを表すもので、
私たちに救い手であることを告げておられる名のりだったのです。


「南無阿弥陀仏」という六字の名号を表している意味は「われにまかせよ、
必ず助ける」という阿弥陀仏の心そのものだったのです。



 とあります。

どうぞ ご縁にふれて いただければ 有難いことです。
本願寺出版社で注文できます。
妙念寺電話サービスお電話ありがとうございました。

次回は 4月3日に新しい内容に変わります。

         


           私も一言(伝言板)