第799回 仏と語る人

 平成20年5月 15日〜

妙念寺電話サービス お電話ありがとうございます。

この4月 浄土真宗の教章が新たに制定されましたが、 こんな疑問を およせ頂いた方が
あります。


以前から少し気にかかっていましたが、「本尊」として 阿弥陀如来(南無阿弥陀仏)と
いう表記が、新しい教章にも
 そのまま踏襲されて いるのは如何なものでしょう?

私は
「本尊」=南無阿弥陀仏  であるべきだと拝察します。

本尊を阿弥陀如来とするなら、「南無」は人間側の分担であり、こちら
から先方へ向けて信心を行うという、きわめて常識的な図式に組み込ま
れ、真宗の独自性が損なわれてしまうように思えます。
なんだか、お念仏が遠くに行ってしまうような感じです。

これでは、御開山聖人が大切にされた、「如来より賜りたる信心」が曖
昧になってしまうように感じます。真宗の御法義は、すべて、まるごと
如来の一人働きであると聴いております。
括弧の中の方が肝腎なのに、どうにもしっくり来ないです。

やはり、末端の一門徒の聞き間違いなんでしょうか? 気になります。 


という書き込みです。


ちょうど 「信心清話」という本を読んでいましたら 「仏と語る人」という 
ところがありました。


この文章の 概要をお知らせして 一つの考え方、一つのお答としたいと 思います。


大谷派の宗務総長をつとめられた方だったそうですが、自坊に帰り専ら自信教人信の道を
進まれていた方がありました。


その方の所に 一人のインテリが訪ねて来て、「何故、京の地に出て、大きく教化活動を
しないのですか」と追求すると


「私は自坊に帰ってから毎朝法話をしているのですが、だんだんと参詣の人も増えて、
今ではそうした同行をあとにして他所に行く気持にはなれません。
私は毎朝この寺に参詣してくる同行の下駄の足音を聞くのが何よりの楽しみです。」と。


師は、毎朝三時頃起床し、みずから御仏飯を炊き、本堂の掃除をすまされると六時頃に
なると、参詣の同行が集まって来て、下陣で一緒におつとめをし、終わると自己の領解を
語り、法悦を述べられるのが常でした。


一年365日、ほとんど休まれる日はなかったと言うことです。
大正10年冬 法話中に脳溢血で倒れられ、50歳で往生の素懐をとげられたのです。

師にお育てを受けた一人の同行が、「毎朝早起きして本堂のお掃除をし、静かに仏前に
端坐して念仏しておられる姿を見ていると、先師と本尊とが本当に話を交わして
おられるように見えた」と語っていたそうです。



 真宗では 蓮如上人のご指示のように 木像より絵像、絵像より名号というのが当然の
見方であります。


これは真宗における獲信は名号のいわれを聞く以外にない、
という教義からいわれるのでありまして、ここに真宗が偶像崇拝の迷信に陥らない理由も
あるわけですが、ひとたび信に 徹したときは、名号よりは絵像、絵像よりは木像という
段階ができてくるのではないでしょうか。


信心とは物を見る一つの見方とも言えます。その見方が明らかになれば、仏は具体的な形と
なって現われて下さるのは当然でしょう。


このご住職が木像の前に端坐して合掌しておられる姿が 本当に木像と話し合うて
おられるように見えたというは、師の眼には木像はそのまま転じて真仏となって
現われてくださったものと思います。


まことの信は仏から与えられ仏を生かす心となるのでしょう。


という 文章です。

このお話を読み 私どもの本堂のご本尊は 南無阿弥陀仏の六字名号ではなく

木像のままでいますが これからは ご本尊とお話できるよう

じっくりと拝見していこうと 思っています。

妙念寺電話サービス お電話ありがとうございました。
次回は、5月22日に 新しい内容に変わります。


         


           私も一言(伝言板)