第803回 自他ともに 心豊かに

 
平成20年 6月 12日〜

妙念寺電話サービス お電話ありがとうございます。

こんな話をききました。

正信偈に 如来所以興出世 唯説弥陀本願海と ありますが
お釈迦さまをはじめ 多くの仏さまたちがこの世にお出になって
お説きいただくのは 弥陀の本願を説くためであったと親鸞聖人が
おっしゃっているところです。


お釈迦さまは 八万四千という膨大な教えを説いていただいています。

しかし、それは ただ一つ阿弥陀如来の本願を説くための手立てであり
すべての衆生を救うには 本願念仏の教えでなければ 救うことができない
ただこれだけを説いても 理解できる人はいないだろうと 方便として 
多くの教えを説かれたのであると。

 どうして本願の教えが理解できないかといえば この世は 私たちは
自分の欲望を叶えられることが 幸せと思い生きています。

財欲 色欲 飲食欲  名誉欲(名欲) 睡眠欲が
充たされることこそが 幸せと思って生きています。

あれが欲しいこれが欲しい、あれが食べたいこれが食べたい、好きだ嫌いだ、
有名になりたい 誉められたいと いつも心の中には そのことばかりを
期待して生きています。

その中の一つ 睡眠欲というのは 眠りたいという欲望というより 
如何に楽をして いい結果を求めるかという 願いだと言われます。

最小の努力で 最大の結果を求めるという 欲望です。
これこそが 人生の幸せ 生きる目的 喜びと 思い込んでいる者たちには
仏のさとりの内容など とても理解できるものではありません。

 お釈迦さまは 菩提樹の下でさとりを開かれた後 このさとりの内容を
人々に説いても 理解できないであろうと 最初は説くことをあきらめられたと
言われます。


自分のことを中心に考える私たちに すべての衆生が もれることなく幸せになるという、
一人残らず救うという願いというものは どうしても 理解できるものではないのでしょう。


 目先の幸せだけではなく 私だけの幸せではなく 生きている間だけではなく 
永遠に究極の 幸せとは何かということを 説いていただいているのが 仏教であり、
それには 理想の国 お浄土へ生まれるために 厳しい修行が必要ではなく 
お念仏を信じ称えることで 阿弥陀如来の本願力で生まれることが出来るという教えです。


私が自分の努力で 人間に生まれたわけではないように お浄土へは 私の努力の
結果ではなく 仏のはたらきで 救われるという 教えを 親鸞聖人は 
勧めていただいたのです。


新しい教章にあるように 「自他ともに 心豊かに生きることのできる」道を
歩いていきたいものです。。

妙念寺電話サービス お電話ありがとうございました。
次回は、6月19日に 新しい内容に変わります。


         


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