第813回 恥ずかしいこと

 平成20年 8月 21日〜

妙念寺電話サービス お電話ありがとうございます。

夏のお参りの最中に こんなことを言われる方がありました。

お盆というのは 地獄の釜が開いた時に 先祖が帰ってくるということは
先祖は 日頃 地獄にいる前提での行事なんですね。
真宗が 歓喜会といっているのは 仏になっている方は この3日間だけ
帰ってくるわけではなく いつでも南無阿弥陀仏の仏さまとして 還ってこられるので 
特に食事などの接待をしないのですよねと。


 ところで 地獄ということを 近頃 聞かなくなったのですが どうしてでしょうかとも 
おっしゃいます。


 どうも 自分が犯した罪の責任は 自分が取らなければいけない。
たとえ 法律的に問題なくても 人を悩ましたり 苦しませたりしたことは
自分にやがて 返ってくるという ことを 理解できなくなったためではないかと。

 見つかって 捕まらなければ 法律的に問題なければ 罪ではないという
理解が主流になってしまったためではないかと 思います。

ゲームのように リセットが出来て 死んでしまえば すべて終わりとの
感覚も普通になっているためではないかと 思います。

昔の感覚では 他の人に与えた苦痛は やがて 自分に返ってくる 
それを 地獄や餓鬼や畜生の世界に例えて 教えていたのでしょう。
親としては 自分の子供や孫が 出来るだけ人のいやがることを 迷惑をかけることを 
しないようにと 願ってのことでしょうが、そんな感覚は 現在
 消えてしまい 
自分さえよければそれでいいのだと 大人たちも思っているようです。


責任は 自分にはない 親が悪い 社会が悪い 相手が悪いと 責任転嫁して
生きているのではないかと 感じられます。

恥ずかしいこと みっともないということ みんなに笑われるということ
そんな言葉が 生きていないようにも思います。

オリンピックの女子柔道を 見ていましたら、黒帯が何度も解けて その度に
息を整え また苦しくなると 帯がほどけて 休憩し 3度も4度も 休憩を繰り返し 
ついに最後には 勝利をおさめる姿をみました。


重量級ですから みんな苦しいのでしょうが 最初から 帯を解けるように
緩く結び 休み休みで試合をして それで勝利をおさめても あまり
価値のあることではないと思えました。

正々堂々と 恥ずかしいことをしないで 立ち向かっていく 帯が解けるようにするのが 
作戦だったとしたら みっともないことだ そんなことは しないのが スポーツであると 
思える感覚を持ち続けていたいと思います。


この人生も 勝った負けた 得した損したではなく 正々堂々と 自分で
やれることを やりとおす 他の人に出来るだけ迷惑をかけないような、
自分が困るようなことは 人にもしないこと、それが 人間らしい生き方であると 思える
そうした人生を送りたいと思います。

ついつい これでいい みんなそうだと 思えた時 南無阿弥陀仏を口に
いやそれでは先輩や 仏さまは 喜ばれない 恥ずかしいと 思いかえす
そんな毎日でありたいと 思います。

妙念寺電話サービス 次回は 8月28日に新しい内容に変わります。

         


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