第818回 戦争を したくはない

 平成20年 9月25日 〜

妙念寺電話サービスお電話ありがとうございます。

東京の千鳥ケ淵で 全戦没者追悼法要が 毎年 9月18日に行われています、
日本人だけではなく 戦争で亡くなられた
 すべての国の人を追悼するこの法要には 

@人びとに殺し合いをさせる戦争を二度としない、させない確かな反戦の決意を心に刻むこと=反戦
A仏教に基づき、戦争で亡くなった全ての人びとのいのちの尊さに目覚め、追悼をすること=追悼

という意義があると 今年は 東京の本多 靜芳 先生がご法話いただきました。

その中で こんなところがありました。

ブリュッセル大学歴史学者アンヌ・モレリ『戦争プロバガンダ 10の法則』(草思社、2002年3月) 

 戦争をした政府が、メディアと結託して流した嘘・情報操作・正義の捏造を分析すると 
つぎのことが歴史の中で繰り返されているといいます。


第1章「われわれは戦争をしたくはない」 
      戦争を始めた政府は
 始めにこうした主張をします

第2章「しかし敵側が一方的に戦争を望んだ」 
      
今、日本はその道を 歩んでいないでしょうか?

第3章「敵の指導者は悪魔のような人間だ」
       →サリン事件オウム真理教信者の実態を撮った森達也監督の映画などで 
      相手も同じ人間と分かる

       悪魔と思い込ませ相手を殺すことを偉業と褒めます。
         しかし、相手から見れば私の行為も悪魔の仕業
    
さるべき業縁のもよおさば、いかなる振る舞いもすべし」『歎異抄』第13条 

      
→相手を悪魔と決めつける時、自分が悪魔となっている = 人を悪魔に
     させる教えを「鬼神の教え」という

      犬の子はどれだけ育てても犬にしかならないが、人だけは鬼にもなれば仏にもなる。
     人として生まれた恐ろしさと喜びを知れ」と仏教は教えます。

 第4章「われわれは領土や覇権のためではなく、偉大な使命のために戦う」
        偉業や正義という偏った考え方を押しつける

  第5章「われわれも誤って犠牲を出すことがある。だが敵はわざと残虐行為におよんでいる」
 
 第6章「敵は卑劣な兵器や戦略を用いている」
   
第7章「われわれの受けた被害は小さく、敵に与えた被害は甚大」 
  
第8章「芸術家や知識人も正義の戦いを支持している」

   第9章「われわれの大義は神聖なものである」 
  
10章「この正義に疑問を投げかける者は裏切り者である」

 つまり、政府や軍部の情報操作によって、人の心は簡単に左右され、
 洗脳されてきたのが歴史の事実

・仏教の追悼とは 慚愧の自覚を頂くこと
 自分こそ正義だと思い込む時、相手を見下し、思い上がり、
  いのちの尊さを忘れ暴力をふるう過ちを犯す

  →自分の過ちに、気づかされて人間性を回復することが、仏教の慚愧=はじる心です。

ご門主は これまでの法要で次のように お話いただいています。

 (第十回:一九九〇年)

「国立の墓苑でありますから、毎年、政府主催の式典をはじめ、各宗教団体等による
 儀式が行われています。


  それらの中で、戦死者の偉業をたたえるためでもなく、霊を慰めるためでもない
 私たちの法要の趣旨を理解してくださる方がたが、少しづつ増えていることは
 ありがたいことです。

  この法要の大切な点は、阿弥陀如来のおん前に、第二次世界大戦をはじめ、
  幾多の戦争で亡くなられた方がたを悼み、世界に平和をもたらす上での
  反省と今後の営みを、わが身に確かめるところにあります。」

(第十二回:一九九二年)

「追悼とは、いたみ悲しむという意味があります。
  ですから、追悼法要では、亡くなられた方がたをいたみ、悲しむことを縁として、
 この私が仏法にめざめ、人間の罪業性に気付き、その上で、亡くなられた方がたの心を
 受けとめるということになりましょう。」



本多先生のご法話のほんの一部分だけを ご紹介しましたが、

新聞やテレビに 踊らされることなく はっきりした目を持ち
お念仏を確かに聞き、私たちの子供や孫が 二度と 戦争に加わることの
ないように お念仏とともに お浄土への道を歩みたいものです。

妙念寺電話サービス お電話ありがとうございました。

次回は、10月2日に新しい内容に変わります。


         


           私も一言(伝言板)