第820回 法味愛楽の目

 平成20年 10月 9日〜

 御本山 西本願寺には いろいろの組織がありますが 伝道教学研究センターという
現代社会の要請に応えて 教学伝道の振興に資することを目的とする組織があり、
そのホームページの中に 

布教伝道のヒントとして いくつかのご法話が 掲載されています。

その中に こんなところがありました。

少々 勝手に 編集させていただいていますが、

私たちは日々多くの情報に接し、様々な体験をしますが、私たちのなかにそれをご法義と
結びつける視点がなければ、法を味わうことはできません。


熟練した布教使さんの法話を聴聞させていただくと、日常の何気ないことのなかにも
仏法を味わっておられる豊かな法味愛楽の目に しばしば感心させられます。


先日、数人の僧侶仲間で、一つのテーマから 味わいを深める試みをしました。
身近にある ティッシュの箱。これを題材にしました。

ある一人は。ジュースをテーブルに倒してしまい、慌ててティッシュの箱に手を伸ばす。
しかしまだあると思っていたのが、2枚ほど取ったら後がもう出てこない。
こんな時に限ってと愚痴をこぼしたことがある。私たちの人生もこれと同じ。

箱を外から眺めるだけでは分からないように、ある時突然「あれっ、もう終わり!?」と
いうのが私たちの無常のいのちである。 というお話です。


またもう一人はこう言いました。箱からティッシュを1枚取ると、自然と次ぎのティッシュが
また箱の外へと顔を出す。ティッシュに後のティッシュを引っ張る力があるのではない。

しかし1枚のティッシュが引っ張られていくことが、自然と次ぎのティッシュを引っ張る
ことになる。


このように、浄土へと先だっていかれた先人たちのすがたが、私たちを導いてくださり、
また同じようにこの私も、浄土への道を歩ませていただく。     などなど

 出来のよしあしはともかく、これからも仏法を味わう縁を、日常のなかに見つけていく
習慣をつけたいものだと思っています。 (教学伝道研究センター研究員 高田文英さん)の
ご法話の中のほんの一部しか ご紹介していませんが。


私たちは 気づかないものの すぐ近くに 喜べる味わいが 沢山あるのに ついつい見逃して
いるのではないでしょうか。
気づけば 豊かな人生 気づかねば 平凡な人生と なってしまうのではないでしょうか。
南無阿弥陀仏は この私に 気づかせていただく 仏様の呼び声です。

南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏 を口にしながら 一つでも多くの味わいをいただきながら
心豊かな 毎日でありたいものです。 

妙念寺電話サービス 次回は 1016日に新しい内容に変わります。


         


           私も一言(伝言板)