第821回 信心は 信受

平成20年 10月16日〜

秋の 日だまり 墓参りをした 男性が 近づいて来られました。
「今日が 御命日でしたか」と 聞きますと 
「え もう10年になります。」


「有難い ばあちゃんでしたね。」
「そうですね。やっとわかってきました。」

今も 墓参りをして 草を取ったとき 思い出していました。
子供の頃 畑の草を取るばあちゃんを 手伝っていると 

有難いのう もったいないのう この草も 精一杯生きようとしているのに
人間の都合で 引きぬいてしまう。


草ばっかりではなくて 一つの苗を 育てるためには 間引きをせにゃならん
申し訳ないのう。
南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏 と言ってましたね。

当時は 肥料というと ジンプンで 臭い臭いというと。

臭いのう でも あれは わしたちの体の中で 働いて その後で
まだ
 野菜のために 働いてくれている お礼を言わんといかんのうと

南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏と 言っていたことを 思い出しました。


有難いと思うと共に 住職としては 臭いという 言葉に ちょっと気になることが 
ありました。
待てよ お墓の近くに 犬猫のフンが 落ちていたのではないかと ・・・・


亡くなられて 10年たっても 子供や孫に 忘れられずに 働きかけて
いただく方もあるのですね。 有難いですね。

同じ残すなら 南無阿弥陀仏を 残すのが 一番ではないかと 味わいました。
年をとるごとに 気づいてくることがあります。

仏さまのお話を聞くたびに 気づくことがあります。
世間の話では こうした変化は少ないのではないか。


お念仏をすることで 気づかせていただく、
お念仏は 私の受信能力を高める働きが あるようです。

そういえば 信心とは 信受であると おっしゃった先生がありました。
辞書を引くと まことに受ける意で、俗に「まうけする」という。

すなわち 仏の真実を 何のはからいなく、そのまま信じること。
他力の信仰の相である。とあります。

阿弥陀経の結びに 仏の所説をききて歓喜信受してさりにき とある。

信を受ける お念仏の生活は 仏さまのはたらきを すべての人の
思いを 受信する能力を高めていきそうです。


妙念寺電話サービス お電話ありがとうございました。
次回は 10月23日に新しい内容に変わります。

         


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