第822回 私 ひとりのために

 平成20年 10月23日〜

妙念寺電話サービスありがとうございます。

こんな 挨拶をされる ご講師があります。

「本日は お忙しい中 この私のために このように沢山 お集まりいただき 
  誠にありがとうございます。」と。


どうも 出版記念のパーティか、選挙運動のようで違和感がありますが、
そう挨拶されるのには 深い意味があります。


親鸞聖人のお言葉を お弟子さんがまとめられた 歎異抄には
「弥陀の五劫思惟の願をよくよく案ずるに ひとへに親鸞一人がためなりけり」と、

また 口伝鈔といって 親鸞聖人のひ孫にあたる覚如上人が 聖人の教えを
直接うけられた 如信上人からの聞き書きに

「五劫の思惟も兆載の修行も ただ親鸞一人がためなり」
と 仰せであったと。

 私たちは 八万四千の法門といわれる 数多いお釈迦さまの 教えの中の一つが
仏説無量寿経であり、お念仏の教えであると理解しているようです。


しかし、親鸞聖人にとっては お釈迦さまがこの世にお出になったのも、
お釈迦さまが本当に説きたかったのも 他のこと
 ではなく 弥陀の本願である 
お念仏の教えであった、と。


それも誰のためでもなく、この私のために ご苦労いただいたのだと 
受けとめられています。


正信偈の 如来所以興出世 唯説弥陀本願海 ・・・
釈迦如来の世に出現されたわけは ただ阿弥陀仏の大海のごとき 本願を 
声高らかに説き示すためであった。(解説礼拝聖典)


お釈迦さまがこの世に出現されたのは 他のためではない 阿弥陀如来の本願を
この私に説き聞かすためであったと。 


また、教行信証の教巻の 最初には、
「つつしんで浄土真宗を案ずるに、二種の回向あり。
  一つには往相、二つには還相なり。往相の回向について真実の教行信証あり。
  それ真実の教を顕さば、すなはち『大無量寿経』これなり」と
述べていただいています。


阿弥陀如来の願い 法蔵菩薩 お釈迦様のご苦労も 親鸞聖人のご苦労も 
そして その教えを私に伝えて下さった
 多くの先輩たちも みな私一人のために
ご苦労頂いたのだと
 味わわせていただくのが お念仏の生き方だろうと思います。

そう味わうと 私をとりまく多くの人々、動物植物、自然も また テレビや新聞で
報道される 犯罪を犯す人たちまでも
 この私に お念仏の教えを知らせるために 
ご苦労いただく
 尊い方々であったと 味わわせていただくのが お念仏の
生き方だろうと感じました。

皆様本当にご苦労さまです。この私一人のために 本当にありがとうございますと。

南无阿弥陀仏しかないと、この私に勧めていただく多くの力。
難しいことは いらない、唯、口にお念仏を称えてくれとの呼びかけ、働きかけを
味わいながら、南无阿弥陀仏の
 生活を送らせていただきたいものです。
                                      (高下恵著・正信偈入門)参照


次回は 10月30日に新しい内容に変わります。


         


           私も一言(伝言板)