第826回 それを幸いに

 平成20年 11月 20日〜

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佐々木蓮麿さんの 信心清話 を読んでいましたら こんな文章がありました。
不眠の克服という文章です。



近来は 人間の知恵が進んで、考えることや思うことが
ふえてきたため不眠症にかかる人が多いようであります。

不眠がまた精神の重荷となって、「ノイローゼになるというのが
現代病の」コースのようです。
そのため睡眠剤を飲む人が非常に多いと聞きます。


 先日も、ある知人の家にまいりましたところ、その知人が
非常に耳が遠くなっているので、さっぱり談話ができませんから、

「君はどうして、そんなに耳が遠くなったのか」と尋ねると、
その友人の言うには、「近来、仕事が非常に多くて、いろいろと
考えかかると夜が眠れないので、睡眠薬をつづけて飲んだところ、
ついにこのように耳が聞こえぬようになった」と申しますから、
私はその友人に言いました。

「君は不眠の原因を突き止めずに、いたずらに薬だけに頼ったから
 副作用をうけて難聴になったのだ。そこで、まず不眠の原因を
 突き止める必要がある」と。

すると友人は「その原因とは何か」と聞きますから、私は重ねて
その友人に申しました。


「君は仕事が多いためにいろいろと考える、といわれるが
考えすぎるから悪いのだ、考えすぎるとは、いらざることまで
考えることである。

いらざることとは人間の分限を超えたところである。
いかに仕事が多くても、人間としてでき得ることは、一事しかない、
そこで、その一事を考え、一事を為して行けばよいわけである。

ところが人間は一時にいろいろなことを考え、また為そうとかかる、
そこに精神的な負担が加重し、苦悩が倍増するから不眠となり、
またノイローゼともなるのである。

また眠れぬときに心を焦ることは禁物である。
焦るということも無用な心の浪費である。

そこで眠れぬ場合には逆に眠れぬことを善意にとって、今晩は眠れぬから、
これを幸いに
 静かに念仏しようと考えることだ、お念仏の一つのご利益は、
いらざる余念―――妄念妄想を払うことにある。

そうすると、いつのまにか自然のお働きで眠らして下さるものだ。


ついでに話すが、明治時代に蓮月尼という歌人がおられた。
ある晩のこと、来客があったので茶を出したところ、
客が言うには「私は晩にお茶をいただくと眠れぬので
困ります」と。

すると蓮月尼は「私は夜眠れぬのを
 少しも苦にしません」と申されたので、
今の客は
 「では、あなたはどうして眠れぬのを苦にしませんか」と
問われたところ、

蓮月尼が申されるには「私は眠れぬときには、それを幸いに心静かに
念仏を喜ばせて頂きます。

そうするといつのまにかお念仏が私を眠らせて下さいます」と。・・・・

その後、一ヵ年ぶりに今の友人にあいましたので「不眠症はどうかね」
と尋ねますと、「お蔭で眠れぬときもあるが、それを気にせぬように
なったので、精神的に楽になった」と申しておりました。

本願のお念仏がありがたいというのは、別に神秘的な作用が
あるからではなく、ただナモアミダブツと称えるのみで、
すべてを如来にお任せするから、いつも現在の一念に立ちかえって、
妄念妄想が払い除けられるところにあるというべきでしょう。
        (百華苑発行 佐々木蓮麿著 信心清話 より一部編集)


  という文章です。

 どんな時にも 行住坐臥 南无阿弥陀仏と称えるのみ
 すべてを如来にお任せする 生活でありたいものです。

   次回は 11月27日に新しい内容に変わります。

         


           私も一言(伝言板)