第828回 待たれる身

 平成20年 12月4日〜

妙念寺電話サービス お電話ありがとう ございます。

秋の法座 初日は 準備していた椅子が 足りなくなるほどに
たくさんの方に ご参拝いただき 誠にありがとうございました。

しかし、二日目は 少々 隙間が出来 連続のお参りが
なかなか 難しいのだろうと 残念な気持でした。

天気予報で 二日目は 雨との予報で 初日に集中されたの
だろうと 思います。

蓮如上人が おっしゃっているように

一宗の繁昌と申すは、人のおほくあつまり、威のおほきなることにては
なく候ふ。一人なりとも、人の信をとるが、一宗の繁昌に候ふ。

ということは  わかっているつもりですが やはり 一人でも多くの人に
ご縁を結んでいただきたいとの思い、 一人でも多くの人に 信をとって
ほしいとの思いから ついつい数にこだわってしまいます。

飲食店を経営しておられるお宅へ 月忌に伺って
住職の思いも お店をやっていらっしゃる方と同じ
思いですと お話をしました。

いつも来ていただく方の姿がないと 心配になる どうしておられるか
病気でもしておられぬかと、・・・・・ 

ご主人も 奥さんも その気持ちは よく分かりますと
うなづいておられました。

お医者さんもきっと 心配な患者が 診察して治療を始めたのに、
その後 訪ねて来ない時には どうしているのか その後の経過は
どうかと 心配して おられることでしょうし

小学校で 担任の先生が 連絡もなく欠席した クラスの子供のことが 
気になって しまうのと同じようなものでしょう。

ふるさとの 親たちが 遠く巣立っていった子供からの
便りが途絶えて 心配するように

帰りの遅い 母親を 待つ子供の 不安な気持ちと 同じように
住職も ご門徒の姿が見えないと 心配でしかたがありません。

こんな時 阿弥陀さまの お気持ちが 少し分かるように思います。
お念仏を 口にしてくれと 願っていても  忙しい 忙しいと 
目先のことだけに気をとられて  右往左往している。

仏さまは、私たちに はたらき掛けておられるのに  それを 無視して 
煩悩を満たすために 必死になっている姿を 悲しんでおられるのだろうと
思います。

雨が降ったといっては 休み 風が吹いたといっては。
暑い寒いと 言い訳をしながら 自分自身をごまかして
生きているのは あまり いい人生ではないように 思います。

また 欠席届を出しておけば大丈夫と 言い訳をされる方もあります。
その多くが親戚の法事や 百か日 従兄弟が亡くなった
とか 仏事に関するご用が いつもあるようです。

どんなに忙しくても 大事なことがあっても
後生の一大事 お聴聞だけは 欠かさないでほしい。

というのが 親たちの 先祖たちの願いではないかと 味わっています。

同じ一生なら 言い訳や 後悔や 愚痴を 言わなくて
いいように 仏さまのお話を 日ごろからちゃんと聞かせて
いただきたいものです。

どんなに忙しくても 時間がとれなくても
どこででもいつでも 口に出来る 念仏 南无阿弥陀仏を 与えて 
この私を救わずにはおかないという 願いを ありがたく いただき 
喜ばせていただきたいものですが

それに甘えずに せめてひと月一度ぐらいは  本堂で お聴聞させて
いただきたいものだと おもいます。

次回は 12月11日に新しい内容に変わります。

         


           私も一言(伝言板)