第829回 最終の目標

 平成20年 12月 11日〜

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地域の仏教会では お釈迦さまの誕生の 4月8日 花まつり
お釈迦さまが 亡くなられた 2月15日の涅槃会と 
悟りを開かれたのが 12月の8日 成道会の三つの行事を
毎年行っています。

浄土真宗では 親鸞聖人の 誕生 降誕会 立教開宗の記念日
ご往生の ご正忌報恩講が 基本の仏事ですが、

禅宗や日蓮宗 天台宗 浄土宗など およそ100カ寺で構成する
仏教会ですので お釈迦さま中心の行事を行っているのです。

 今年の成道会の法要のご法話は 禅宗の僧侶の方が担当され
県立病院でのホスピスの活動や 中学校で行っている 
いのちの教育についてお話いただきました。

高校受験を失敗した 一人の少年がバイク事故で 亡くなったことを
機縁として始まった ある中学校の いのちの教育。

10人ぐらいづつ グループに分かれて 指導者を中心に 話し合い
いのちの大切さを学んでいるといいます。

 まず「今ほしいものは何か。」とか「今はやりの音楽」は 
「今 好きなグループは」などの質問から
「もし 自分の いのちが 残り三か月だったら 何をしたいか。」

つづけて「残り一週間だったら 何をしたいか」 などと 限られた
いのちを 他人ごとではなく 自分のこととして実感する話し合い
をして、いのちの大切さを学ぶ勉強会とのこと。

また その子供たちが ターミナルケアの患者さんを訪問して
子供たちに いのちの大切さを実感してもらおうという交流活動の様子
などを聞かせていただきました。


お話を聞きながら 思いました。

死んだらおしまい。生きていることが いかに素晴らしいかということは
分かるものの 仏教では はたして死んだら終わりで済ませていいのか
疑問が出て来ました。

中学生には そう説明した方が 分かりやすいのでしょうが、
死んだらすべてが終わりだけであったなら 健康に気を付けて長生きし
自分の好きなことを 精一杯することが 素晴らしい人生である
という 自己中心的な生き方を助長しているようにも思えます。

人間は 自分一人では生きていけない 多くのいのちをいただいて
支えられて 生かされている私、その私が人間に生まれてきて 
やるべきことは 何なのか 仏教的な 指導法があるのではないかと
思えてきました。

個人的な私と 公の私、いのちの平等は 人間だけではなく
すべて生き物は 平等であり 自分の行為は自分で責任を取らねば
ならない こうしたことを もうすこし 取り入れて命の教育を
していただきたいものだと 思えてきました。

浄土真宗では 自分の犯した罪により 地獄にしか
行くことが出来ない 私が 如来の本願の働きを 信じ
お念仏する生活をすることで お浄土へ生まれることができる。
そして 仏のさとりを得て
すべての生き物を教化するということが説かれています。

その意味は 世間で理解されている 科学的な価値観 
死んだらすべてが終わる 生きている間に
楽しく生きていかねば損という ことだけでは すまされない
いのちの根源を 教えていただいているのだろうと 思います。

自分のいのちを 生きることは 多くのいのちと 共に生きること
いのちは 私だけのものではなく 多くのいのちのその代表選手
として 生かされている。

長い歴史を超えて受け継いできたいのち 次の世代へ
引き継いでいく いのち そして横に広がって
多くのいのちに つながっている そのいのちを今
私が生かされている そう味わう価値観が芽生えると

ヤケクソになって 他のいのちを奪って自分のいのちを
終わりにしようとする 悲しい事件も少なくなっていくのでは
ないでしょうか。

いのちは 私ひとりのものではなく 支えられて生かされている
いのちという ことを 南无阿弥陀仏は 味わう言葉ではないかと
思います。

そして 同じ仏教でも お浄土に生まれることが出来る
いのちであると 説いていただいていることを なお一層 有難く
味わいました。

次回は 12月18日に新しい内容に変わります。


         


           私も一言(伝言板)