第830回 お預かりします

 
平成20年 12月 18日〜

妙念寺電話サービス お電話ありがとう ございます。

幼稚園や保育所などの保護者や お寺でご門徒にお配りするための
ものでしょうか、「ないおん」という 毎月発行されている冊子があります。

「家庭に贈るこころのお便り」と 封筒に印刷されており
「泥?(ないおん)とは 心に喜びを感じていく世界、
 幸せを幸せと受けとめていく世界なのです。」と 解説してあります。

その 20年12月号を 送っていただき 「ことばの心をたずねて」
という 神戸女子大学の羽渓了先生(明応寺住職)の 文章が
掲載されていました。


私どものお寺で、あるご法座を勤めさせていただく朝「今日は○○講を
勤めてもらうそうで、この野菜でも使っておくれ」とある方から
お野菜を頂戴しました。

さっそくいただいたお野菜でご講師や法中のお昼のお斎に使わせて
もらいました。

大変有難いことですが、それにも増して「○○講を勤めてもらうそうで」
という言葉にハッとしました。

 私も「今日は○○をお勤めさせていただく」とか「お参りさせてもらう」
といった言い方をします。この言い回しは、国語の文法では謙譲語と
言って、自分が相手よりも一段へりくだって言う表現です。

しかし、そのような謙譲語といったレベルではなく、およそ勤める気など
ないこの私が、およそ参る気などないこの私が、ご縁によって、
あるいは大きな働きに促されて、勤め参ることができる、という
深い思いがあるのです。

 先の「勤めてもらうそうで」という表現も、本来自分で勤めるべき
ところを、「用意し勤めてもらいます」という深い思いがあるのです。

無論いずれにせよ、いちいちそのようなことを意識して会話を常に
しているわけではないでしょうが、そのような言い回しを大切にして
いく中で、本来の意味を味わわせていただくことが出来ると思います。

 私ごとでまことにお恥ずかしい話ですが、ご法礼・お布施をいただく際、
私は「有難うございました」と申していました。


しかし、数年前ある ご講師が、最後にご法礼を受けられる際に、
「お預かりします。有難うございます」
と仰っていました。頭を後ろからコンと叩かれたような思いでした。

「預かる」ということは、私がそれをもらうのではなく、誰かに
それをことづける、という意味になります。

一体 誰に ことづけるのでしょうか?。

そうですね。まぎれもなくアミダさまですね。実際は貰った人の懐に
入るにせよ、あくまで、先ずはアミダさまにお届けお供えするのが
大原則であり、その心を忘れては主客転倒になってしまいます。

僧侶は、アミダさまのお心をお伝えしているに過ぎません。
ご法礼やお布施は決して僧侶に対するお礼ではなく、どこまでも
アミダさまのお心にお礼をするのです。

ですからそのご講師は「アミダさまにお供えすべくものですから、
預かって帰ります」という意味で「お預かりします」と言われた
のでした。
とても大切なことだと思います。

 そこでご法礼やお布施を出す際には「おことづけして申しわけ
ありませんが」とか「失礼ですが、お預けいたします」という
言葉を添えては 如何でしょう?

どこまでもアミダさまへのお供えという深い心がそのような
言い回しになっているのです。

 ことばは 何気なしに使うものですが、そのようなお心をふと
味わわせて いただける言い回しを、改めて大切に伝えさせて
いただきたいものです。

このような 文章です。

誠にありがたい お言葉です。
妙念寺電話サービス お電話ありがとうございました。
次回は 12月25日に新しい内容に変わります。

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