第832回  無量寿

  平成21年 1月 1日〜

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正信偈は 帰命無量寿如来 から 始まります。
インドから伝わったお経を 鳩摩羅什が中国語に翻訳するとき
「仏説阿弥陀経」では 無量寿と訳すべき言葉も 無量光と訳すべき言葉も
共に阿弥陀と訳しているということです。


したがって阿弥陀仏とか阿弥陀如来という場合
内容的には 無量寿無量光如来という意味だと言われます。

無量寿とは仏の救いの時間的無限性をあらわし、
無量光とは 空間的な無辺性をあらわしており
時間的空間的な限定を超えて、あらゆる衆生を漏らさず
救う仏という名であるといわれます。

親鸞聖人は、「摂取して捨てざれば 阿弥陀と名づけたてまつる」
と言われます。


ところで 七高僧のお一人 曇鸞大師には こんな逸話があります。

中国北部の五台山近くの雁門で生まれ、当時の仏教研究の中心地である
五台山で仏道修行にはげんでいた曇鸞大師は 六十巻もある難解な
大集経の注釈書を作ろうと思い立ちましたが あまりの困難な作業に
途中で病気となりました。

こんなことでは困る、仏教の経論釈を学び尽くすには 
長寿でなければおぼつかない、長生不死の法をまずは
身につけようと、50歳ごろ、南方まで旅をして、首尾よく
仙術の道士に出会い、
念願の奥義の書を伝授され、これで長生きをして、仏教研究が
続けられると 喜び勇んで帰国の途中、洛陽の都に立ち寄ったところ、
ちょうどそのころ、洛陽には 菩提流支三蔵がおられました。

三蔵は 北インドからシルクロードを通って多くの経典を携えてきて
中国語訳につとめていた僧でした。

 曇鸞大師は、得意気になって仙術の書を見せ 仏教には長生きの
教えがあるのかと 問いただしました。

三蔵は それに応えて「少々長生きして何になる。
すみやかに生死解脱の真の長生不死の法を求めよ。
限りない生命を得る、真の不死の書はこれだ。」と言い放って
「観無量寿経」を示したのでした。

曇鸞大師は せっかく手に入れた仙経を焼き捨てて 浄土の教えに帰し、
念仏三昧の生活に入って、天親菩薩の浄土論を
 注釈した浄土論註や
讃阿弥陀仏偈など 浄土真宗にとっては
 重要な書物を
残していただきました。


正信偈では ここを 三蔵流支授浄教 焚焼仙経帰楽邦 
意訳では 曇鸞大師は 仙術に親しんでいたが 
三蔵法師の菩提流支に出会い「観無量寿経」を授けられると
仙術の書を焼き捨てて、浄土のみ教えに帰入された。・・・と あります。


気づきますと  ただ長生きをしたいために 努力している人が
あまりにも多いようです。

浄土の教えこそ 真の長生不死の法とは どういう意味か 
なぜ 限りない生命を得る教えなのか。

教行信証の現代語訳で 正信偈の曇鸞大師のところは
曇鸞大師は、梁の武帝が常に菩薩と仰がれた方である。

菩提流支三蔵から浄土の経典を授けられたので 
仙経を焼き捨てて浄土の教えに帰依された。

天親菩薩の「浄土論」を注釈して、浄土に往生する 因も果も
阿弥陀仏の誓願によることを明らかにし、
往相も還相も他力の回向であると示された。

「浄土へ往生するための因は、ただ信心ひとつである。
煩悩具足の凡夫でも この信心を得たなら、仏のさとりを
開くことができる。

はかり知れない光明の浄土に至ると、あらゆる迷いの衆生を
導くことができる」と述べられた。
とあります。


阿弥陀如来は 時間的空間的な限定を超えて、あらゆる衆生を漏らさず
救う仏という意味でしょうが、その阿弥陀如来と同体のさとりを得て
あらゆる迷いの衆生を導くことができるということは
どういうことかを はっきりと味わわせていただきたいものです。

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次回は 1月7日に新しい内容に変わります。


         


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