第836回 名号を となへんものをば

 平成21年1月 29日〜

妙念寺電話サービスお電話ありがとうございました。

親鸞聖人の750回大遠忌の法要のために 新しく
お勤めの作法が 作られました。

一つは 「宗祖讃仰作法」という 親鸞聖人のご和讚を
中心とした 法要。

もう一つは 「音楽法要」 です。
この音楽法要の最初に 親鸞聖人のご消息 お手紙の
一部分を拝読する形式になっています。

そのご消息は 関東の有阿弥陀仏というお弟子さんが
念仏往生についてお尋ねしたものへの ご返事です。

拝読するところは

    弥陀の本願と まふすは  名号を となへんものをは
    極楽へ むかへんと  ちかはせ たまひたるを
    ふかく信じて となふるか めでたき ことにて候なり 

そして法要の最後には

    この身は いまは としきはまりて さふらへは 
    さためて さきたちて  往生し 候はんすれは
    浄土にて かならす かならす まちまいらせ さふらふへし  


という ご消息集 26通目の お手紙です。


 拝読するのは 一部分ですが お手紙の全体を
 現代語訳で ご紹介しますと


 お尋ねになりました 念仏往生に関しての疑義について、ご返事。

 念仏を申して 浄土に往生すると信じる人は、浄土のはずれである
 辺地にしか往生することができない、といって 非難されるというのは
  まったく理解できないことであります。

 その理由は 弥陀如来の本願というのは、仏の名号を称えるものを
 極楽に迎えいれようとお誓いなさったのであって、それを深く信じて、
 その名号を称えるのが殊勝なのであるからです。

 信心があるといっても、名号を称えないのであればその甲斐がありません。
  またひたすらに名号を称えるといっても、信心が浅ければ浄土に往生
  するのは困難であります。

  ですから、念仏して往生できるのだと深く信じて、その上で名号を
  称えられるならば、浄土への往生は疑いのないことであります。

  要するに、名号を称えても他力の本願を信じないのであるならば、
  辺地に往生することになるでありましょう。

 本願他力のはたらきを深く信じる人びとが、どうして辺地などへ
 往生するでありましょうか。


  このあたりの事情をよくよくお心得になって、お念仏なさってください。


  この私は、いまはすっかり年とってしまい、きっとあなたに
  先立って往生するでしょうから、浄土であなたのおいでを必ずかならず
  まっております。

   七月十三日 

   有阿弥陀仏へ ご返事 

(現代語訳 本願寺出版社 聖典セミナー 親鸞聖人御消息 霊山勝海師著より)

  とあります。

新しく制定された音楽法要の最初と最後に 親鸞聖人のお手紙を拝読し
あと ご和讚を 拝読する 新しい作法 さっそくお勤めして
みたいと思います。

そして 浄土であなたのおいでを必ずかならずまっております。
という言葉を 深く味わいたいものです。


妙念寺電話サービスお電話ありがとうございました。
次回は、2月5日に新しい内容に変わります。

         


           私も一言(伝言板)