第837回 お祝のことば

 平成21年 2月 5日 〜

妙念寺電話サービス お電話ありがとう ございます。

久しぶりに 本堂での結婚式が 挙行できます。
昨年の末 
一本の電話から 始まりました。

「お寺で 結婚式を挙げて もらえるものでしょうか」と 
ご門徒の孫さんからの電話でした。

「日程は いつごろですか」 「2月11日です。」
「その日ですと 本堂は使えますし・・・ 一度お会いしましょう」
と 電話を切って 数日後 約束の時間に 若い二人連れが
訪ねてきました。

そして 家族だけの結婚式 平服でもいいものか
後日 披露宴を開く予定だが 結婚衣装はその時に着たい。

平服でも 式はできますので ご心配なくと 打ち合わせ
式の直前の休みの日に 具体的な 動きなどを一度 やっておきましょうと
リハーサルの 日時を 約束しました。

それから 数日後 年も明け 新郎のお母さんから電話があり
ご相談がありますとのこと ちょうど 教区の新聞に
仏前結婚を応援する 若手僧侶のグループが発足したとの紹介記事が
掲載されたのを見て 出来れば 雅楽演奏もお願いしたいとのこと
さっそく 結婚式支援グループのお世話役に相談して 雅楽に加えて
司会者 会係なども 応援をしてもらい 仏前結婚式を
挙行する運びになっています。

結婚式では お勤めや 誓いのことば 念珠授与などと 行ないますが 
司婚者の法話もあります。


その法話 次のような 法話をしたいと思っています。

本日は お若い 二人の希望によって 当山本堂での 結婚式を
挙げることが出来ました。

ご両家の皆様に こころより お祝い申しあげます。
お寺を預かる住職としても こうして本堂で お祝の法要が
できますこと 誠にありがたく 嬉しく存じております。

ご承知のとおり お釈迦さまがお説きになった仏教は 
人間として どう生きれば いいのか どうすれば 生きがいが持て
喜びの人生になるのかが 具体的に説かれているのだと思います。

ところが いつの頃からか 生きている間は 神社や神様で 
仏教や お寺は 過去のこと あるいは遠い将来のことと
誤解が 生まれてしまったようです。

お釈迦様が悟られ 説かれた教えは 縁起の法といい
「あらゆるものが相互に あい縁りあいまって存在する」
という真理を 私たちに 明らかにしていただきました。

私たちは 日頃 何事も 当然 当たり前と思って 無感動な
人生を送っています。

今日ここに結ばれる お二人を 祝って 親御さんや
ご兄弟 そろって 喜んでいただいていますが
お二人を 今日まで育ててこられた 親の苦労や 親の思いは
十分に 分かったつもりでいますが 実は あまり理解出来て
いないのが現実です。

それは 自分が 親になってはじめて 気付かされていくものです。
同じように この私の為に ご苦労いただいている方々が まだまだ
沢山あるのに そのほとんどに気付かず 見えていないのも事実です。

お二人のために 今日 雅楽の演奏をしていただいた方々も
司会や進行をしていただいた 若いご住職方々も ご自分の
お寺の仕事が沢山ある祝日なのに 県内各地から 集まっていただき
お二人のスタートを 祝って 仏縁を結んでいただきました。

参道では 紅白の梅が この日に合わせて 咲き誇っています。

これからも お二人の周りでは 見えるところ 見えないところ
さまざまな方々が 人間だけではなく あらゆるものが 陰になり
日向になって支えてくださることと思います。


そうした人々の 思いを感じ味わうことが出来るか 出来ないかで
人生の意味あいは 大きく違ってくると思います。

そのもっとも身近なところでは これから 人生を共に歩まれる
お連れ合いの 思いをしっかりと受け止めることが出来るか
感じ取り 感謝することができるかどうかということです。

そうした能力が 開発されていくのが 親鸞聖人が勧めていただく 
お念仏の教えだろうと思います。

お念仏に、南無阿弥陀仏に出会うことで この私は転換され 
見えないものが 少しづつ見えてくる 感じられないことが
感じられてくる 当たり前のものが当たり前ではなくなり
有難く感じられてくる そうした智慧を 新しい価値観を
与えられていただくのです。


こうして 仏前での結婚式を 挙げられた尊いご縁を元に
先祖たちが受取り 伝えてきた 阿弥陀如来の願い 
その願いにかなった 喜び多い 感受性 豊かな毎日を 
お過ごしいただくよう 切に望み お祝いの言葉といたします。

本日は 誠に おめでとうございました。

妙念寺電話サービス お電話ありがとうございました。

次回は、2月12日に新しい内容に変わります。


         


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