第840回 如来のはたらき

 平成21年 2月26日〜

妙念寺電話サービスお電話ありがとうございました。

ところで 阿弥陀如来の はたらきを 「光」で表します。 
光明無量、不可思議光、清浄光、歓喜光、智慧光など。

光は 何を照らすのか。
世の中が良く見えるようになるのか
 あるいは 周りの人が 
よく見えるようになるのでしょうか。


私たちの目は 外側に向いています。
そこで 周りのこと、他人のことばかりが見えて なかなか、
心が穏やかではありません。

それに比べて 自分のことは よく見えていないものです。
それが仏の智慧の光に照らされると 見えてくるのは 
世間や他人ではなく 自分の姿が明らかになってくるのです。

如来のはたらきは また「鏡」に譬えられます。

鏡で 何を見るのか 自分自身を見るのです。
まったく気づかなかった 自分自身の姿を、自分自身の
身勝手な想いを 利己的な行動を 映し出していただくのが
仏の智慧の鏡であり 如来のはたらき であると。

また 如来のはたらきを 「定規」に譬えられます。

この線は 曲がっているのか まっすぐか 長いか短いか
定規を 当てることによって はっきりしてきます。

自分の目 自分の感覚というのは あまり当てには
ならないもの 自分の都合によってどんなにでも 
変わってしまいます。

南无阿弥陀仏に お念仏に 如来に 出遇うことで
見えてくるのは 他人の姿ではなく これまで なかなか
気づかず 忘れていた自分自身の真実の姿なのです。

南无阿弥陀仏に出遇うまでは 真実の自分に気づく前は
正しいのは いつも自分で 間違っているのは 相手であり

自分と違う考えや 意見 私の意に沿わない行動ばかりする
気にくわない どうしようもない人ばかりが周りに居たのが
はたしてそうなのかどうか 疑問が湧いてきます。

自分自身の本当の姿が少しずつ 見えてくると 
自己中心の殻が破られて 周りの人にも やさしく 
思いやりがあり 温かさが にじみ出てくるものです。

鏡を見ない 定規を持たない 暗闇の中で 自己中心で 
生きている人とは 大きな違いが出てくるのは 当然です。

どうぞ ご自分のためにも 周りの人のためにも
将来の子供や孫のためにも 南無阿弥陀仏を口にし
耳に聞く、いつもお念仏と一緒の生活で 喜び多い
豊かな毎日を送っていただきたいものです。

詳しくは 毎月十四日開催の 真宗の常識講座で
学んでいます。万難を排して お参りください。

妙念寺電話サービスお電話ありがとう ございました。
次回は、3月5日に新しい内容に変わります。


         


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