第842回 癒しで 止まったら

 平成21年 3月 12日〜

妙念寺電話サービスお電話ありがとうございました。

映画 おくりびとが 話題になっていますが、原作者と 思われている
『納棺夫日記』著者・青木新門さんへのインタビュー記事が
毎日新聞社の毎日jpに ありました。一部分を拝借しご紹介しますと

「青木さんは原作者として名前が挙がることを、辞退されていますね。」
 との質問に

 送られてきたシナリオを見るとね、親を思ったり、家族を思ったり、
人間の死の尊厳について描かれているのは、伝わってきて、すばらしいんです。
ただ、最後がヒューマニズム、人間中心主義で終わっている。
私が強調した宗教とか永遠が描かれていない。着地点が違うから、
では原作という文字をタイトルからはずしてくれって、身を引いたんです。
・・・・・


 またこんな質問には
「 −−日本や海外で映画がどうして高い評価を受けたのだと思われますか。」

いかにも現代の世相をクローズアップした作品です。
アメリカも金融危機やオバマ大統領誕生など、価値観の変化が起こってきている。
生と死とを分けて、生が絶対で、お金や経済が大事でそちらに向かったけど、
それだけではない、という感じが出ています。
例えば、あの大統領は集会をキャンセルして、危篤のおばあちゃんを優先したんです。
・・・・・・


「 −−宗教色や生死への哲学的な思索が薄くなって、わかりやすくなった
  ということはないでしょうか。」


  複雑です。死者と生者のきずなが大事だよと映画は教えてくれるけど、
最後は「癒やし」なんですよね。
そこで止まっていたら、やがて人間中心主義・ヒューマニズムは、自己中心主義に
なるのではないでしょうか。
癒やしだけだと、その場を取り繕うことになりかねません。
におい消しみたいなもので、においそのものを断っているわけではない。
においそのものを断つには、宗教的なものが必要になるんです。
・・・・・・・


という 記事でした。そしてそのあとにある解説によると
 青木さんには 詩集に『雪原』、エッセー集に『木漏れ日の風景』などの
 著作があると いうことです。


・・・・・「癒やし」なんですよね。
そこで止まっていたら、やがて人間中心主義・ヒューマニズムは、自己中心主義に
なるのではないでしょうか。癒やしだけだと、その場を取り繕うことになりかねません。
におい消しみたいなもので、においそのものを断っているわけではない。
においそのものを断つには、宗教的なものが必要になるんです。・・・・・・・


この言葉を 聞くと我々は その場だけを取り繕うことに 終始しているのでは
ないかと その元に 到達することの重要性に 気づいていないのではないかと

それが宗教の力 はたらき お念仏であると 味わいました。

妙念寺電話サービスお電話ありがとうございました。
次回は 317日に 新しい内容に変わります。

         


           私も一言(伝言板)